上げ下げ水車は桐生特有の水車で、岩瀬吉兵衛が八丁撚糸機と水車を連結して、システムを完成した。
 


写真は須田米吉氏(写真右)の工場にあった水車。
中央の少年は須田信宏氏。現在の桐生厚生病院駐車場西側の通りが写真に映る川の位置となる。写真にも映るように、当時はこのような水車が、川沿いに経つノコギリ屋根の建物と共に桐生市の景観を作り出していた。

 
奥が下げている状態、手前が上げている状態、上げ下げ水車の動作が良く分かる。    者公方を使って上げ下げ操作をする須田信宏さん(1/5水車・赤岩用水にて撮影)
 
上げ下げ水車の回転は、はしごチェーンにより天井に設置されたシャフトに伝わり、工場のなかに引き込まれる。工場では、ベルトを介して八丁撚糸機を駆動する。    当時の八丁撚糸機作業風景(八丁撚糸機由来資料より)
 




車大工が作る水車
桐生では、車大工と呼ばれる大工が水車を作った。上げ下げ水車は桐生独特の水波で、水路を有効に使う為に考案された。
 
上げ下げ水車の可動部分
上げ下げ装置は左右に2つある。尺棒を押し上げる事で、巻き上げ装置が台枠ごと水車を持ち上げる仕組み。両側の装置を交互に操作する。軽作業のため、女や子供の仕事であった。
水車用木製歯車とはしごチェーン



  大輪部分
管に巻かれた糸は錘先で撚りをかけながら、少しずつ揚げ枠に巻き取られ、お召し用の強い撚り糸が出来る。

1)の拡大図
八丁撚糸機の心臓部、管に巻かれた絹糸に、水棒で水分を補給しながら撚る。

2)の拡大図
糸の長さを計測する時計。江戸時代後期、笠原氏により考案された。歯車も木製である。枠の大きさと巻き数で、撚糸の長さを測定した。
  時計の裏にある振手装置。軸棒が山道の溝を通り連結された目くばりが左右に振られ、撚糸は均等に巻き取られる。