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「桐生の技術が京都西陣のそれを超えた」と絶賛された織物、“桐生のお召し縮緬”は、大正時代に創られた。その「桐生お召し」が再び注目を浴びたのは昭和30年代である。しかし、それを最後に「お召し縮緬」は織物の世界から姿を消した。 |
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『まちを知り・まちを残し・まちを伝え続けながら次世代に引き継ぐまちを創ること』が、私たちに求められている今、高齢者は正しくまち創りのキーパーソンです。経験や知恵をもつ高齢者と、最新の情報技術を駆使する若者が協働することで、それを残し伝えることが可能になります。
世代を越え協働で取り組む共通のテーマに、私たちは『織物』を選びました。平成13年に開催した桐生の原風景“水車と八丁撚糸機”を主題にしたシンポジウム『水車の廻る風景を求めて』では、企画・立案・開催準備・実施と一貫して多世代交流を実現しました。
この成果を基に翌14年に編纂した『新あすへの遺産:織都きりゅうを支えた先達の素顔――桐生織物と撚糸用水車の記憶』は、桐生市老人クラブ連合会の会員と群馬大学工学部の学生が共に織物に係わりのあった高齢者を訪ね取材を行いました。また高齢者自身による執筆・編集を、学生が最新の情報技術を使って支援し、多世代交流を図りつつ協働して編纂したものです。
着物の生地としての「お召し縮緬」が市場から姿を消したからと言って、その技術が否定されたわけではありません。今回は、大正時代に西陣を超えたと絶賛された“桐生お召し”の技術を引き継ぐ昭和の匠に、話を伺いました。お召し縮緬を織り上げるまでの工程は多岐にわたり、各工程について説明した書籍は数多く発刊されていますが、工程に携わる職人の心意気や人となりを伝えるような、職人の生の声を体系的に現したものは少ないようです。
70歳を越えるお年寄りと20歳代の若者が、世代を越えて一緒に取材をしたことで、お年寄り同士では分かりきっている話題も、若者には未知のもので興味を引き、好奇心が新たな力となっています。高齢者と学生との協働作業から、自覚や相互認識が生まれ、新しい形のコミュニティが形成されつつあると実感しております。
孫に話して聞かせるように優しく・丁寧で分かり易く語る匠の眼の光や、聞き逃さないように身を乗り出す若者の姿勢といった、取材現場の雰囲気が伝えられれば幸いです。 |
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本事業は、社会福祉・医療事業団(長寿社会福祉基金)の交付金により、財団法人
長寿社会開発センターが助成したものです。 |
桐生市老人クラブ連合会
NPO法人桐生地域情報ネットワーク |
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本サイトは、桐生お召しに関わった職人へのインタビュー集である。 |
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インタビュー対象者は、吉田邦雄氏(『森秀織物』元常務、前桐生市老連常任理事、前第7区白寿会会長)の協力の元に、第2時世界大戦前後から昭和40年代まで森秀織物と取り引きのあった職人を中心にコーディネートした。 |
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2003年7月〜8月に、NPO法人桐生地域情報ネットワークが事前聞き取りとして第1回目インタビューを行い、その後10月〜11月に桐生市老人クラブ連合会の方と群馬大学の学生にて、第2回目以降のインタビューを行った。また、第2回目のインタビューから派生するかたちで、桐生市老人クラブ連合会の方への取材も行った。 |
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