《藤井》 |
今の話の続きだけど、下撚り屋さんは種類が色々あるからいいけども、揚撚り屋ってのはお召しの緯糸か縮緬緯糸とか、それ位に限られてるからね。それに合うような機械しかないから融通がきかなかった。そういう不便さがあるけれども、この八丁撚糸機[はっちょうねんしき]というのがお召しには必要だった。 |
―― |
今、縮緬の話が出ましたよね。お召しってのは色付けたのを撚りますよね。縮緬てのは色を付けずに撚るわけですか? |
《藤井》 |
付けない。色も何も付けずに織っちゃうわけだ。縮緬の緯糸は右左がわかるように撚りながら色をつけるので、間違って織ることは防げる。ただし、染料は練る時に落ちる染料を使う。それで後から練って、絹にしてから色を付ける。 |
―― |
そうすると縮緬とお召しの緯糸ってのは、同じ機械でやるんですか? |
《藤井》 |
同じ機械です。お召しってのはすべて、右左に下撚りした糸を染めたり張ったりしてから強撚をいれるわけです。縮緬のほうは生地のまま。強撚をいれて織り上がった後で練るでしょう。だから布は柔らかいですよ。
お召しはこしがある。ちょっと硬いですよ。 |
―― |
お召しは濡れたらパーだといいますけど、本当にだめになっちゃうんですか? |
《山澤》 |
どうしても、濡れると縮む性質がありますから。それだけのもんですね。湿気を嫌うってことですね。結局それが一番の特徴ですね。最近は薬品や何かで取ったり、色々やるようになったんだけど、やっぱり時代の流れでだめだったんだねぇ。 |
―― |
素人考えだと、だめになるものがなんで何十万も反物としてこの世に出たのかというのが不思議なんですけど、だめじゃなくて使えた部分もあったんじゃないかと思うんですが。 |
《山澤》 |
昔の人はそれにうまく対応して使ってくれたんじゃないですかね。扱いは難しかったですけどね。 |
《藤井》 |
濡れると縮む欠点のことですが、それは経糸の密度と緯糸の撚度、シボ取りの仕方等、昔は問題として取り上げることもなかったです。戦前の織屋さんはもとより、関係する職人さんも皆研究熱心だった。
戦後は余りにも量産にばかり走りすぎたのではないでしょうか。撚糸関係に携わったひとりとして自分自身も反省しているんです。 |
―― |
広幅なんかでも縮緬が多く出ていますよね。 |
《山澤》 |
現在は技術もできたからそういうのが出てるけど、当時は絹は縮むということが一番の悩みで、これをなんとか止めようというので、試験場でも色々研究したんだけど、当時はそれだけの技術がなかった。縮みを止められなかったんですね。
最近は技術もできたから、縮緬の洋服とかできるようになったけど。金沢の縮緬でもなんでも洋服生地にして出てるけどね。 |
《藤井》 |
Yシャツでもなんでも中国産だしね。 |
―― |
この当時お召しは着てたんですかね? |
《山澤》 |
縮緬が最高級品なんです。お召しってのは、普段着の最高級品。お金持ちの人の普段着がお召しですね。冠婚葬祭なんかは縮緬でしたよね。 |
―― |
銘仙はどうでしたか? |
《藤井》 |
銘仙は普段着だものね。お召しとはちょっと違うかなぁ。 |
―― |
山澤さん。さっき米沢に糸を出したといってましたけど、それは米沢織りですか? |
《山澤》 |
そういうことでしょうね。男物が多かったらしいです。 |