高松宮宣仁親王殿下 |
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昭和34年8月18日高松宮宣仁親王殿下ご来社決定、行啓がきまったその年の初夏、社長と私で市役所へ出向き、正式にこの話を受けました。その後は私が奉迎の委員長として、当時、市の助役さんと一緒に警察へ行ったり、県庁へ行ったり、役所の日程を伺い社内の奉迎準備をしなくてはならず、工場内の改装や整備、当日の接待準備の予定等、一頃大忙しでした。行啓当日は、朝から夏の太陽の照りつける暑い日でした。社員一同、門内に整列してお待ちする中、県知事、市長さんらのお供でご到着、居並ぶ社員にも会釈を賜りながら応接室へ。ここでは社長がお召しの製造工程などについて種々ご説明申し上げました。ご少憩の後暑い中を工場へ、社長が先導申し上げ、私は宮様のすぐ後に随行しました。先程門内でお迎えした社員も全員各持ち場へ戻り作業を始めておりました。染色、撚糸とご見学の上、騒音著しい織場へ進まれた。このような中でも殿下は色々と質問されたり、手にとってご覧になったりと、熱心なご見学ぶりでした。
外では私服のお巡りさんが、暑い中警備に当たり、近所の人達は会社へ入って奉迎したりで、社内は大混雑でした。宮様がお出になるというので、沿道では大勢の市民が、歓迎をしていたそうですが、それは後になって知りました。
一連の日程を終え、宮様がお帰りになり、一同大役が済みホッと一息。「ああ!暑かった」と私。本日のために新調した洋服の上着が、ドッシリ重いと思ったら、背中に汗がたまっていました。 |
義宮正仁親王殿下 |
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高松宮様行啓の興奮冷めやらぬ8月27日、義宮正仁親王殿下が、ことによると明日お立ち寄りなるかもしれないとの内報が前日になってありました。急な話で社内でも大慌て、でもこのあいだ高松宮様をお迎えした直後なので、いくらかの余裕もありました。当日の奉迎も前へならえ、社員も落ち着いたものでした。
予定通り義宮様がご到着になり、門前には近所の人達が詰めかけ、宮様のお車もやっと入ってきたようでした。お車を降りられると近所の人達の中から万歳が起こりました。整列した社員の前を進みながら、宮様はやはりご会釈をなさいました。宮様の工場見学も右へならえで気軽にご案内、宮様もうちとけたご様子で、騒音の工場を見学なさいました。一連の日程を終り、社員や近所の人のお見送りする中、お車の人となり、那須御用邸へ向かわれました。 |
秩父宮勢津子妃 |
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次は秩父宮勢津子妃の御来社、昭和35年5月19日、前にお二方の宮様をお迎えした経験もあるので、さすがに今回は余裕がありました。当日は朝から五月雨の降るあいにくの天気。歓迎準備の整った中、御到着。例によって門内に整列した社員に何げない挨拶をなさりながら応接室へ、ここで例の通りお召しのことを申し上げるとさすが妃殿下、着物のことについてもご造詣が深く色々お尋ねもありました。ご少憩の後小雨の降る中工場を見学。織機の騒音の中でも、女性の宮様らしく織物や着物のことについて、色々御質問なされました。見学を終え工場の外へ出られると、騒音から解放されたためでしょうか、いくらかホッとしたご様子でした。日程通り見学を済まされて、社員のお見送りの中をお帰りになりました。 |
皇太子殿下 |
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昭和40年11月1日に、皇太子殿下(現天皇陛下)御来社が、10月19日に決定しました。以前に三宮様をお迎えした経験もあり、今度の御来社には大感激をいたし、桐生市、警察とも細かい奉迎日程を組みました。日程は11月1日午後1時10分から同40分までの30分間で、細かく時間が決まっていました。
前3回の経験を生かして、社内の奉迎準備を進めました。今回は前の2日間を休業して、全工場内を再点検、清掃や改装を行いました。特に機織部の床には絨緞を敷いて、殿下の足許の安全に配慮しました。いよいよ当日、今回は社員はもとより取引先の人も招待して歓迎することにいたしました。その他、近所の人達も社内で歓迎することにしたため、150人を超す人数となりました。したがって、お巡りさんも、会社の内、外の警備で、大変だったようでした。
例によって会社員取引先の人達も門内に整列お迎えの準備が整い、御料車到着、社長の行啓御礼の挨拶を受けられ、整列した社員にご丁寧なご会釈を賜りながら応接室へ、決められた時間内のお召しに関する社長説明を受けられ、10分間ご少憩のあと工場へ、ここでも急ぎ足でご見学、20分の中でも種々御質問をなされ、勉強なさっておられました。分刻みの日程も無事経過し、社員等のお見送りの中、御帰還なされました。
度重なる宮様方のご来社を受けた社員一同は思わぬ光栄に浴しました。 |