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| まず写真を見せてもらえますか? |
| (お召し作成工程の写真集「桐生お召し」を見ながら)
これは、昭和25年代の中頃から2年位かけて、スライドに撮ったものを写真にまとめたもので「桐生お召し」というタイトルをつけました。桐生の街は全部変わったけれど、当時の「桐生お召し」の雰囲気はあると思います。 |
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| ピントといい構図といい上手ですね |
| 何枚も撮りましたから。その中から一番良いのを選んでます。 |
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| 愛用のカメラはなんですか? |
| ニコンFを使ってます。
工程が非常にかかるんですよお召しって。生糸を糸繰りして、それから撚りを入れるんですが、下撚りと揚撚りの工程があり、これで右撚りと左撚りに撚るわけです。 |
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| この辺は水路はあったんですか? |
| この辺に水路はないです。ですから撚糸の発祥は、だいたい新宿のほうです。渡良瀬川からの用水路があったので水車を利用して撚糸業が栄えたんでしょうね。
先程、お話しした下撚りの後にいくつかの工程を経た後、糊付け作業があり、それから揚撚りをし、これを緯糸にするのです。 |
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| 随分と工程があるんですね。これで全工程ですか? |
| まぁ、以上の写真もごく一部ですが、詳しく言えばもっと工程があります。 |
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| 量的には、桐生でどの程度出ていたんですか? |
| やはり、そこは規模によってバラツキがあります。 |
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| 機屋[はたや]さんごとに、評判みたいなものはあったのですか? |
| やはり、それはありますね。私共の取引先は量もこなしたし、質も良かったようです。 |
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| 普通の縮緬用の糸っていうのは、桐生でも織っていたところはあるんですか? |
| それは少ないようですね。縮緬というのは、ご存知のとおり全部無地で、着地が薄いんです。それにお召しのように強燃はかけませんからね。やはり、お召しより規模の大きい工場で織っていましたね。桐生では、私共のお召し・境野の帯・広沢の丸帯と三つに分かれてましたね。だから、縮緬はほとんどなかったようです。 |
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| 普通の縮緬だと、輸出ができますよね?お召しっていうのは、洋装で使わないじゃないですか。どうしてでしょう? |
| 洋装では使えないですね・・・よくお召しの生地をほぐして、使うことはありますね。しかしどうして縮緬を桐生でやらなかったのかは、詳しくは分かりませんね。 |
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| それはリサイクルということですよね? |
| そうですね。その程度が洋物に使われる例ですね。もうしばらく前から、お召しの仕事が無くなりましてね。今では私どもは刺繍糸を撚ってるんですよ。主にレーヨンです。 |
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| 強撚糸をかけるって事は無いのですね? |
| そうですね、下撚りの場合には300〜500回程度の撚りを入れます。強燃だったら何千回が普通ですから、ざっと10〜20倍は撚りますよ。
昔の話ですけと、よくうちの父は、強撚糸をお湯で伸ばして、わざわざ長さを測ってましたね。何回よったかは検撚計で分かるんですが、よりの具合はそうでもしないと分からないですからね。 |
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| この前、藤井さん(昔、糸を撚っておられた)に話を聞いたら、「自分の糸が生地になったら、どれだけ縮むか知りたかった。」といっておられました。生地を見たことがないからだそうです。自分で糸を撚っただけで、行った先からは戻ってこないから、織った状態を見たいと話されてましたね。その辺はどうですか?
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| そうですね。みんな、織った生地や撚った糸は見てないですからね。まぁ、私はたまたま趣味で写真やってましたから。写真として残ってるのは私のもの位ですよ。ほんとは映画にしたかったんですけどね。 |
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| これ以外の写真もあるわけですよね?(全工程の写真以外) |
| そうですね、全工程としてアルバムに入れていますが、1工程に対して数枚撮影したわけですから。かなりの量になりますよ。みなさんに見せようと、スライドで映写できるようにもしてあります。 |
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| この糊付けの工程では、どんな糊を使っていましたか? |
| 蕨粉が主でしたが、白米も使いました。 |
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| 何回か繊維試験場に行って、糸張りを見てきたことありますけどね。 |
| で、できたものを干します。 |
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| やはり天日で干さないとだめですか? |
| 天日で干したほうがいいですね。そうすると右手と左手が逆になるんですよ。
それで今度はいよいよ、この揚撚りとですがここで、八丁を使います。 |
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| この八丁という語源はなんですか? |
| まあ色々な風に言われますけど、口八丁、何々八丁というように、色々と使えて便利だから、という感じじゃないでしょうか。私はそんな風に考えてますけどね。で、撚り上がったやつを、今度は管にまくわけです。 |
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| 八丁撚糸機[はっちょうねんしき]はもうないのですか? |
| 今でも、天井裏には昔の八丁撚糸機[はっちょうねんしき]を分解して、しまってありますよ。何となく、もったいなくてねぇ、それに会社の歴史でもありますしね。 |
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| 織物参考館の森秀さんがいっておられましたが、ゆとり教育になった今年の4月以降、小中学生がの見学が多く、中でも県外の遠くから来るほうが多いそうです。 |
| これは機拵ですね。昔はこうやって手で繋いだのですが、今はみな機械ですよね。それから、織機にかけるわけですね。 |
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| これだけまとめるのには、随分写真をとられたんでしょうね。 |
| 10倍位は撮ってますね。(写真を指差して)これがわかるように織機を止めさせて撮った写真です。上下経糸が開いたところへ筬が入っている場面ですね。ちょっと止めてくれといってね・・・ほかの機屋[はたや]さん3軒の写真も含まれていますが、随分と苦労したもんですよ。 |
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| 補修とはなんですか、 |
| 織りあがった生地に糸端がでると整理をします。それが補修です。シボ取りする前に補修をします。後だとやりにくくなるので・・・シボ取りでは、お湯に薬品を入れて、ずっと縮ませます。後で整理屋で、規定の寸法に伸ばすんですね。 |
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| 確かにお召しの風合いはよかったですからね・・・ |
| 縮まる様子をメジャーで示しています。シボ取りでこの位縮まるわけです。 |
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| 電熱かなにかで、乾燥するのはだめなんですか? |
| 洋装(輸出)製品は、ほとんど電熱乾燥でしたけれど、この頃は、機械化や技術もあまりなかったのでお召しの乾燥は手作業の蒸気乾燥でしたね。 |
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| 確かに工程数は、あるんですね。 |
| 細かくやるとまだまだたくさんあります。撚り工程も2回ですし・・・ |
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| この頃は、いわゆる『ガチャマン時代』ですか? |
| そうだと思います。帯屋さんがお召しを始めたり、撚糸屋が八丁を入れたりして始めた頃ですからね。儲かったんだと思います。戦前はイタリー式の撚糸機が入ってたんですが、それが戦争の供出できれいになくなって、戦後すぐには八丁を使ったわけですね。それがはじまりなんですけども・・・
機をガチャンとひとつ織れば、1万円札がごろごろと入ってくるので、ガチャマン景気というわけですね。 |
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| この味付けというのは・・・(写真を指さしながら) |
| 風味を出すために反物を巻いて叩くんですね。食べ物で言えば、味の素をいれるようなもんです。そうしないと絹の風合いがでないんですね。このあたりが機屋[はたや]さんの極意です。機屋[はたや]はみせたがらなかったですね。
織元から糸を預かってやるでしょう。だから工場の入り口は無断立ち入り禁止という札が全部貼ってありました。関係者以外は、機を織ってるところには勝手に入れませんでした。 |
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| 最盛期には本町通りに、買い継ぎ屋さんがずいぶんありましたよね。糸屋通りにも。今そういう、買い継ぎというのはないんですか? |
| 現在では、あまりありません。 |
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| 武藤さんの場合でもそういうところから注文がくるわけですか? |
| いいえ、私共では、機屋[はたや]さんから来る注文です。原糸も機屋[はたや]さんから来るんです。 |