石川佑策 いしかわゆうさく
桐生市老人クラブ連合会
私のモットーは,『年齢七掛け人生』ということで七十歳なら未だ五十歳なんだよと、若い気持ちで張り切っているのですが、今回の『新・あすへの遺産』編纂のプロジェクト会議に参画する機会を得て、数次にわたるプロジェクト会議での白熱した論議のシーン。出版事業部全員参加の勉強会。森秀さんはじめ織物業界を支えてこられた大先輩をお訪ねしての取材聞き取り調査で、お世話になりました皆々様本当に有り難うございました。
関本金三郎 せきもときんざぶろう
桐生市教育委員会指導部付主査
「桐生」に生まれ、「桐生」で育ち、「桐生」を愛おしく思う心、その条件を満たせる自分を誰よりも幸せなことと感じている。
故に、こうした桐生の再発見とも言える「新・あすへの遺産:桐生織物と撚糸用水車の記憶」の編纂にあたり未熟ながら諸先輩の方々と参画を交え、いまを生き「織都きりゅう」を支えてきた先達の素顔に触れることができたことに感激を隠せない思いである。
かつて繁栄を誇っていた都も、いつかは亡び行くもの。富や財力を保持し、永遠に繁栄し続けることは皆無に等しい。歴史を学び、そこに興味を示す者であれば、定説のことと認識していることだろう。しかし、そのとき代に住む人たちにとって、運命とも言える時の流れをそのまま容認し放置することは、人の理に適うものではないと感じている。
いま、桐生のまちは、半世紀を生きてきた私の経験にない苦難道に遭遇している。それは、日本経済がバブル崩壊から12年目を迎える構造的不況下において、大手生命保険会社の倒産に端を発し、放漫的融資の数々による金融破綻へと波及し、更には大企業の経営改善を目的とする大規模なリストラおよび経営弱者と言われる中小零細企業の相次ぐ倒産をも誘発、完全失業率も近年最悪の5%を上回る事態へとなってしまっている。
こうしたことから、日本の地域経済も全国的規模で根底から崩れつつあり、桐生もまたこうした厳しい社会情勢の数ある市町村の一つでしかない、と楽観的な捉え方で良いはずはないと考える。
その上、政界や地方行政の一部不祥事等も連鎖的に浮上し、市場貨幣経済を基幹的に支えてきた「人と人との信頼」の柱が大きく揺るいでいると言えよう。
こうした世情だからこそ、先達の叡智と努力によって培われた地域の伝統や文化および歴史的事実を探求・検証し、その記録を後世に留め伝える努力を怠ってはならないのではないだろうか。
この冊子が、こうした桐生の苦難な現状を打開するひとつの起爆剤と成ってくれることを期待するとともに、水車を原動力とした八丁撚糸やきりゅうお召し縮緬の誕生等を導いた先達の努力に、いま報いる好機を本冊子で得た思いがする。
富山慶典 とみやまよしのり
群馬大学教授
"地域に根ざした活動をネットワークし,これまで体験したことのない地域貢献活動へのチャレンジが支援され,地域内外に開かれた多世代の交流活動を多彩に組織し運営できる「地域」での「交流」を促す拠点,高齢者の新たな活躍の場としての「コミュニティ・プラットホーム」を創ろう!"という桐生プロジェクトに企画・参加させていただき,3年目になります。
1年目は,桐生で活動する複数のNPOへの調査から,桐生が市民活動のきわめて活発なまちであるということを明らかにしました。この結果をふまえ2年目は,NPO:KAINを中心に,上で述べた「コミュニティ・プラットホーム」構想を試行し,その効果を実験的に検証しました。このなかの一つの活動が,桐生市老人クラブ連合会編集の冊子『あすへの遺産』のなかに多く記述されていた撚糸と水車をキーワードとする「水車の廻る風景を求めて」と題する多世代交流イベントでした。この2年間の活動は,厚生労働省受託ミレニアム・プロジェクト『福祉・生活関連サービス分野における高齢者の雇用・就業地域モデルの構築に関する研究』(最終報告書は財団法人高年齢者雇用開発協会から発行されている)の一貫としておこなわれたものです。内閣府の最終評価書において,良い評価を得ています。加えて,より重要なことは,われわれの予想を超え,地元の小学校やまちづくり団体・老人クラブなど桐生地域での多様でかつ広範な波及効果をもたらしたことです。そして3年目,この波及効果のひとつとして生まれたのが,桐生市老人クラブ連合会とNPO:KAINとが協働する形での本冊子『新・あすへの遺産』の編纂です。3年間参加させていただいた一人として,これらの活動を通じて最も強く思うところは,「まちは創りつづける存在である」ということです。そして「ひとは学びつづける存在である」ということです。
長田克比古 ながたかつひこ
桐生広域インターネット協議会副会長
ブロケード、クレープ、ベルベットの三つが、現在最高級の絹織物とされる。クレープ(=縮緬)の緯糸を作るのに似ているが、お召し用は染めた糸を撚るので工程が更に複雑になる。なぜお召しが無くなったのか。ただ単に濡れると縮むのが欠点で衰退したと割り切れる程、ことは単純ではなさそうである。お召しの着物がすたれたといっても、それを支えた職人の技術が否定されたわけではない。何故なら、インターネットで調べてみるがいい。幻の糸、八丁撚糸機[はっちょうねんしき]で撚った強撚糸あります・・・と。
クレープの需要があるのに何故お召し緯の需要がないのかを見つけることは、着尺のお召し織物ができ上がるまでの工程をつぶさに検証していくことによって解明されるようである。桐生のお召しをして京都を越えたと賞賛させたそれは、江戸褄模様のお召し縮緬製の着物で、大正年代に作成された。今回登場した匠たちは、昭和になって仕事をした人たちであるが、彼らは親の仕事を見、話を聞き、技術を受け継ぎ昭和の桐生お召しに携わった仕事師でもある。「あすへの遺産」発刊から12年、多くの先達は鬼籍に入った。今、桐生のお召しを調べ検証していく最後の機会が与えられている。経糸の整経、糸や布地の染色、織機を準備する機拵、繭から糸を紡ぐ製糸・・・などなど、お召し作成に関わった多くの人々との会話の中から、新たな光が見えてくるような気がしてならない。孫に話し聞かせるように、優しく・丁寧に・分かり易く語る匠の眼の光りの中に、一生懸命に聞き逃さないように乗り出す若者の姿勢の中に明日があるようである。桐生再生の道を探ることが桐生の明日を創ることに繋がる。「続新・あすへの遺産」の発刊を期待したい。
「均質化した糸を捜すことは易しいけれど、個性的な糸を求めるのは難しい」といったのは吉田カバンの社長、吉田滋氏である。水車で廻した八丁車で撚った糸は、ゆらぎの糸にならないか。メイド・イン・キリフ「ゆらぎ糸織り」・・・登場!?
西山裕 にしやまひろし
グロコム国際大学・主任研究員
戦後の高度成長を支えた社会システムは、ある種の繁栄を得ると同時にさまざまなひずみを生んできた。その多くが地域社会に堆積している。1970年代に「今後の豊かな社会の問題」としてとらえられていた事柄の多くも、実は「貧しい地域社会」の上にあったことが明らかになっている。日本社会は今、「貧しい地域社会」という現象に直面している。
この現象を象徴的に現しているのは、協働が成立しなくなったコミュニティの姿であろう。さまざまな課題に地域社会が向かう困難さの原因がここにある。特に世代間の断絶は、地域の課題に対する共通の認識を妨げ、社会的な意思決定能力を低下させている。
しかし、本冊子の制作過程は、少なくとも桐生の地域社会においては、多世代の共同作業が可能であり、それによって生まれる成果がたいへん大きなものであることを証明した。同時に、地域社会の交流と協働を実現するうえで、NPOという新しいかたちの中間組織が、重要な役割を担うことが明らかになる過程でもあった。
先達の貴重な体験を検証し後世に伝えようとする本企画は、多世代の協働体験を桐生の地に現出させたといえよう。この意味するところは大きい。
野口健二 のぐちけんじ
(有)ライズ・代表取締役
水車はわからなくもない。八丁撚糸機[はっちょうねんしき]は想像もつかない。お召しは言葉としては知っているが実物は見たことがない。そして、桐生に縁があるわけでもない。こんな私が、この冊子の編集とホームページ制作にここまで深く関わっているのはなぜだろう。それはプロジェクトに関わっている人達の目が輝いているからだ。仕事柄、様々なプロジェクトやイベントの報告書づくりに首をつっこんできたが、「新・あすへの遺産」は今までとは趣が違う。
行政主導だと形式にばかりこだわり無理矢理結論を方向づけるものになる。業界団体が発行すると、とかく技術論や古き良き時代の自慢話のまとめ本になりがちだ。趣が違う大きな理由は、桐生市老人クラブ連合会と群馬大学学生がこのプロジェクトに参加しているところによる。
取材を受ける側の立場を想像すると、同時代を共に歩んできた人との懐かしい会話はきっと楽しいはず。また、普段コミュニケーションがほとんどない孫ほどの年齢の学生達からの質問攻めは心地良いだろう。そんな雰囲気が行間からにじみ出ている。織都「きりゅう」の奥深い一面をスパっと切り取って新鮮な状態でパッケージしたアーカイブスがここに完成した。
先達に感謝。
森島純男 もりしますみお
織物参考館・紫「ゆかり」館長
本プロジェクトに、参加させて頂き有難うございました。
そして、私のライフワークである、水車・八丁撚糸・お召しを、取り上げて頂き感謝しています。自分の中にあるお召しについての考えを、具体化してくれたプロジェクトであったように思いいます。これを機にお召しの復興に全力を尽くしてあたります。乞うご期待。


安納正浩 あんのうまさひろ
群馬大学工学部4年
私が桐生に住んで三年になった。大学があったために住み始め、何気なく住んでいたために、桐生という町のことをほとんど知らなかった。しかし、本書の編集に関わることができたおかげで、「桐生」の良さ、「織物の伝統」のすばらしさを知ることができた。
桐生では田畑に向かない土地柄から、繊維業が盛んであり、渡良瀬川をはじめとする恵まれた河川に囲まれ、桐生の町には水路が流れ、そこには水車の姿も見ることができた。美しい景色の側では、見事な色に染められた桐生織物「おめし」の天日干しの姿が見える。
桐生のかつての写真を見ても、桐生とはなんと美しい町だったのだろうかと驚かされた。時代の流れから、桐生の産業も景色も変わった。当然、これからも町は変わって行くだろう。明日を創る世代である私にとって、たいへん価値のある編集だった。
今後、古き良き時代を忘れずに生きていこうと思う。
今村康太 いまむらこうた
群馬大学工学部3年
新・あすへの遺産の出版にあたり取材の方をお手伝いさせていただきました。桐生に来て三年、サークルを通してもの作りに携わっていた人々の技術が様々な思いが今もなお受け継がれているのが現在の桐生だと思います。いつまでも残しておかなければならない歴史をあすへの遺産とする作業に携わることができ、素晴らしい経験ができました。
井上文紀 いのうえふみのり
群馬大学工学部
今回,インタビューのバイトをしてみて、なかなか難しいと思いました。時間が合わなくて、1回しかできなくて残念でした。今回自分は、カメラを担当しましたが、ただ写真をとるだけのとちがって、いかに話し合いの雰囲気を写真でつたえるか、などを考えてしまい変にかしこまってしまったような気がします。でも、今回のように年長者が水車の歴史について話し合いをしている場面に出くわす機会はなかったので、そのような場にいられただけで良かったと思います。本当にいい経験になりました。
太田美和子 おおたみわこ
群馬大学工学部4年
桐生は古くからの織物の町と幼い頃から知っており、高校で実習のときに染料を合成して自分の手で絹を染めて以来、織物や染料にとても興味を持っていました。少しでも織物関係の歴史や伝統を知れたことはとてもよい勉強になりました。新しい技術を身につけるだけでなく、古き良き伝統も後世に伝えていける人間になりたいと思います。
岡下武史 おかしたたけし
群馬大学工学部1年
私は、約1年前に群馬県桐生市というところに住みついた。それまで桐生の事も群馬の事も全くといっていい程知らなかった。そしてNPOを少し手伝わせてもらっている間に昔の桐生は織物や水車等についての職人が多勢いたのだと知らされた。桐生へ来て織物がすごく有名だと聞き、これからも元気よく「織物の街・桐生」ということを全国へ知らせてほしいと思った。折角大昔からの伝統があるのだから、これからもずっとずっと続けてほしい。
最後に、この仕事をしていて織物や水車の事を話す桐生の先輩方は、いい顔をして喋っているように見えた。
川村智史 かわむらさとし
NPO法人桐生地域情報ネットワーク理事
あすへの遺産プロジェクト会議参加の委員の皆様、そして今回多大なる協力をいただいた桐生市老人クラブ連合会の皆様、大変ご苦労さまでした。でき上がった冊子は桐生織物と撚糸用水車に関わる先達の言葉を後世に伝えるものとして、価値あるものになると信じております。また、今回冊子編纂に関わった10代から80代の多くの世代が1つの目的の為チームを組み、コミュニティーを形成した事も、大きな成果として評価したいと思います。ありがとうございました。
後藤美希 ごとうみき
群馬大学工学部2年生
はじめ、インタビュー収録に参加を頼まれたときはとても戸惑いました。しかし、実際やってみて、ただ大学生活を送っていたのでは決して聞くことのできない貴重な体験をしました。相手の話を聞きながら自分の意見をいったり、質問したりするのはとても難しかったです。今回、「新・あすへの遺産」の企画に参加して、私がこれから数年間お世話になる桐生の歴史をはじめ、生活習慣など色々なことが少しでも知ることでき、本当に良い経験になりました。布の染め方などのことも知ったことで、今年の成人式に自分が着た着物や、他の人が着た着物など様々な色、模様がありインタビューで聞いた話を再び思い出したりもしました。今回の企画への参加は自分のなかで大きな財産になったと思います。本当に楽しかったです。ありがとうございました。
小林隆子 こばやしたかこ
NPO法人桐生地域情報ネットワーク事務局
事務局として、企画・会議と、参加させてもらいましたが、毎回委員さん達の熱心な意見交換に圧倒されていました。また、織物に携わった方々の話も興味深く、私自身忘れかけていた「なにか」を思い出すきっかけになりました。幼いときに見ていたかも知れない「水車」。両親・祖父母の写真の背景かも知れない「水車」。私の実家も当時は「織機」を造っていた鉄工所です。昔を想うと、胸がほんのり暖かくなってきました。人と人のつながりが当に「あすへの遺産」なんだと実感します。そして、このプロジェクトにかかわれたことを嬉しく思います。
塩崎泰雄 しおざきやすお
NPO法人桐生地域情報ネットワーク理事長
企画から8ヶ月、スタッフは取材に編集にと走り続けた。自堕落な私が5時には起きて作業するなんて、ほとんど奇跡に近い。
取材先での笑顔や熱弁が、そして協力を頂いた多くの方々との記憶が、鮮明なだけに体は自然と動いている。不思議な体験である。
最近、夢を見る。水車の廻る夢である。流れる水の音と、笑い声、そしてキャシャン、キャシャンと機音[はたおと]が聞こえる。生き生きと聞こえている。もしかして・・・正夢かもしれない・・・と思う。
ちょっと心がワクワクとしながら・・・そう思う。
塩崎雄大 しおざきゆうた
東洋大学文学部1年
思いもよらぬ所以から『新・あすへの遺産』編集に関係することとなりました。戦前・戦中・戦後より今日まで、世のあり様は日進月歩と言われ、頭では理解していたつもりでありましたが、如何せん未だに十年一日の如く、寝ぼけた世界観しか持てませなんだ身に、過去から現在へ至る潮流の生き証人の談話は、非常なる良薬として効果を現してくれました。
その血肉を揃えた言葉に一人でも多くの方々が触れ、噛みしめ、己を支える礎として下さることを切望する次第であります。
周藤美保 しゅうとうみほ
NPO法人桐生地域情報ネットワーク事務局
「新・あすへの遺産」の作成に関わらせていただいて、一番感激したのは「職人魂」です。取材させていただいた方々の、工夫や前向きさに心から敬服いたしました。物がない時代でのご苦労は大変なものでしたが、そのとき代だからこその輝きも豊かさもあって、現代にない暖かさを強く感じました。また、桐生を新発見できる、大変おもしろい本になると思いますが、それはここまでの取材・編集などたくさんの作業の中に、「良い本にしよう」というたくさんの人の気持ちがこもっているからだと思います。そういう気持ちに触れたり、仕上がる喜びを感じられ、参加させていただいて本当に良かったと思っています。
中野春江 なかのはるえ
NPO法人桐生地域情報ネットワーク事務局
このプロジェクトに、もう少し早く拘っていたら、モット色々なことが分かったのにと残念でなりません。
それにしても、先達のご苦労された歴史を残すことは、今に生きる我々の義務で、又それを後世に伝えなければならないことを痛感いたしました。
歴史は刻一刻と動いていき、人は順番に亡くなりますので、語り伝える人が次々と消えて行くのを目の当たりにしますと、じっとしていられなくなります。技を受け継ぐ人がいなくなっても、作品と伝承がこのような本になって残れば、後世への最大遺産となることでしょう。先達の大勢の方々の努力に心から敬意を表します。何もお役に立ちませんでしてけど、この本の出版を楽しみにしております。
原澤礼三 はらさわれいじ
桐生市老人クラブ連合会
14年度の市老連の出版事業部の副部長を受けたことから、「新・あすへの遺産」へのプロジェクトに参加、石川部長さんのご指導を頂きながら、それなりの協力をしてきました。主な仕事は水車や撚糸業などにかかわってこられた方の取材でした。
この道一筋に生きてこられた皆様のお話には人生の教訓があり、いつも感動させられました。この「新・あすへの遺産」は貴重な資料なので、いつまでも伝えられていくことを祈っております。
林康平 はやしこうへい
群馬大学工学部4年
「未来」は未来からやってきはしない。未来は過去を微分的に輪切りにしたとすると、その積み重ねである。町というものがどのように構築されるか。それは、人間の息吹、文化、山々の鮮やかな緑清涼な水の流れ、それらが幾重にも織り合わない限り「現在」という「織物」はけっして織りあがることは無いだろう。「現在」を織り込んできた方々に「未来」を織るものとして最大級の賛辞を送りたい。
御子柴孝晃 みこしばたかあき
群馬大学工学部3年
今回、新・あすへの遺産に関わらせていただいて大変感謝しています。感想を一言でいうと、とにかく楽しかった。この桐生という町に群馬大学の工学部があって、それだけのめぐり合わせでインタビュアーとして参加することができて、本当によかったと思います。
僕は個人的に大学の仲間、色々なイベントでできた仲間、とサークルを作って、「楽しいことの自給自足」をテーマにイベント企画サークルをやっています。そのときに桐生の人って面白いな。と思ったのがこの桐生と関わってみたいという最初の切っ掛けでした。そんな中で塩崎さんと出会って、織物と言う視点からそのときの桐生の人、町、生活、習慣、仕事、娯楽などの体験談を自分の目で見て、耳で聞いて、色々なことを感じました。その中でも特に印象に残ったのが、当時の人達がそこに生きていたという誇らしげな時間という感覚でした。
取材の中で、水車の構造や数、当時の桐生の地図など、熱心に話しをする爺ちゃんの目に、ものすごいパワーを感じました。なんでも有りのこの時代に、何をしたいのかも分からん人が増えている中で、当時、それしか選択肢が無い毎日を、生き生きと生きていた爺ちゃん達に、本当に感動しました。そして同時に自分もこれからそう言う目の輝いた人間に成りたいと思います。
最後に、こんな自分をインタビュアーという大役に抜てきしていただき、本当にありがとうございました。
吉田薫 よしだかおる
NPO法人桐生地域情報ネットワーク事務局
このプロジェクトが立ち上がったとき正直「あらまぁ大変だわ」と人事のように思いました。短い月日の中で、取材・会議・編集を重ねていくうちに、お召し、水車と織物、歴史を知ることができました。そしてまだまだ沢山の貴重な史料が桐生にはあることを、この織物・桐生の歴史が、次世代へ未来へ受け継がれてゆくことを望みます。
吉田薫人 よしだいさと
NPO法人桐生地域情報ネットワーク事務局
このプロジェクトに関わることができ、大変感謝しています。
私は桐生出身にもかかわらず、桐生の歴史についてほとんど知らなかったので、取材を通して桐生の歴史にふれられたことで大変勉強になりました。また、お年寄りとの会話も普段の生活の中ではなかなか経験できることではなく、当時の人の考え方、生き方など多くのことを学ぶことができたと感じています。
さらに多少ではありますが編集作業のほうにも携わることができ、こちらもよい経験になりました。大勢の人たちと協力してひとつのものを作っていくということの楽しさや、その厳しさを知ることができました。
今回のことで、自分にとって様々な面でプラスになったと思います。また機会があれば、是非ともこういった仕事をしてみたいと思っています。