――19歳っていうと、昭和何年くらいですかね?
岩倉 う〜んと。何年だろう?私が昭和8年生まれですから、昭和27年くらいですか?
――そうすると、森秀が盛んな時ですね。
岩倉 そうです。機織りはね、(机に両手をかけるようにして)年中こうやって手ついてるんですよ。機織ってくとこう生地が出来上がってくるじゃないですか。打ち込みの糸が切れたりほどけたりした時の筬の当たり方を手で感じるの。あぁ、大体このくらいの当たり方なんだって。そうじゃないと、ズシーンなんていう風に打ち付けた時に、こんど黒くなっちゃったり薄くなったりしちゃうから。
――体で覚えるって感じなんですね。
岩倉 そう、結局体で覚えてるのよね。糸の張り具合や後ろの鉄の重りだって自分の勘ですもん。あんまり減らしてったらダブンダブン弛むから織りづらいし、かといって、あんまり糸を張ってたら良い生地はできないし、長年の勘ですよね。
――例えば難しいものを任せてもらえるにはどのぐらいかかるんですか?
岩倉 そんなにかからなかったと思いますよ。森秀入ってからどんどん織っていきましたもん。上でも見てますからね、図案が出来てくると「あ、この人ならこのぐらいのものが織れるだろうから」って。
――図案見た段階でどういう風に織るのかっていうのは分かるものですか?
岩倉 そう、もう分かるからね。「あの人のとこにやると、汚く織っちゃう」とかって。中にはいるんですよ。1本の糸が真っ直ぐにソウコウから筬を通らないといけないのに、こっちの方の糸を隣の筬に持っていっちゃったりして、ゴチャゴチャになっちゃってる人がいるの。いくら直してやっても、そうなっちゃう。私なんか何度も教えてやったよ。だから「こういうのは駄目なんだよ」って、自分の機を織りながら教えて直してやって、「ほら、きれいになっただろう」って言うと、「あぁ分かりました」って言ってやってるのにまたおかしくなっちゃってる(笑)。
――そういう人って首になんないんですか?
岩倉 なんなかったですね。後から新しい機織りを入れることもなかったし、なりたい人もいなくなっていきましたから。一番多い時で14人入ってきた時があったんですよ。だけどその後からはもう入ってこないんだから。あとはもう一般の人が来て、ちょっと織らしてみて、駄目なら断るとか。織れるんですかって聞いたりなんかして、駄目な人もいましたよね。
――即戦力になるような人をどこかから引き抜いたりなんかはしなかったんですか?
岩倉 森秀は引き抜きはなかったみたい。
――できる人は森秀に来たがるんでしょうね。
岩倉 森秀の機織りなんて言ったら一流だったからね。だからどこのお召し屋さんが良いっていったって、森秀のには良い値段がついたでしょうね。
――1日にどれぐらい織ってたんですか?
岩倉 1日の1反織れないんですよ。1日半・・・2日はかからなかった。無地なんかだったら1日に1反半とか2反とかとれたんだけどね。
――帯とかだったらどれくらいできたんですか?
岩倉 私が織ってたのはね、1日に大体3本ぐらい織ったかな。無地だからね。柄も少なかったしね。だけど、帯っていうのはお召しよりも厚みがあるからね。
――ひと月でどれぐらい織ったかでお給料が決まってくるんですか?
岩倉 1反いくらで、って決まっていたんだよね。「この帯は1本いくら」「この着物はいくら」って。だから2日間かかるのが1番損だったんですよ。難しい割りにお金にならないんですよ。
――じゃあ簡単なものをたくさん作った方がお金にはなったんですか?
岩倉 1日半ぐらいで織れるっていうのが1番良かったみたい。
――1日で織れちゃうようなものは単価が安い?
岩倉 そうそう。縫い取りがあったらもう1日じゃ織れないですよ。
――縫い取り?
岩倉 縫い取りっていうのは太い糸でこういう風に柄が織ってあるの。見たことない?
今で言う刺繍みたいな感じで、柄のところだけが違う糸で織られてるやつ。見たことない?ちょっとあそこに森秀の着物があるんだよ。 |