桐生お召しに関わる職人たち
桐生お召しと職人の系譜
桐生市老人クラブ連合会/NPO法人桐生地域情報ネットワーク

(隣の部屋に移って、着物を見ながら)

――けっこうたくさんありますね。

岩倉 これがね、森秀のお召しなんですよ。これが縫い取り。

――この柄のところがその縫い取り?

岩倉 そうそう。これがなければだいぶ楽なの。ここは経と緯に青い糸が入って絣みたいになってるの。ここのところ、結婚式でしみになっちゃったの。

――それ何のしみですか?

岩倉 結婚式でやったからお醤油か何かなのよ。しみ抜き屋さんに出せばこれ抜けるんだけど、私には派手すぎて着れないじゃないですか。だから本当はこれグレーか何かに染めると良いんですよ。

(以下、いくつかの着物を見ながら)

  ……この着物はね、ファッションショーの時に入賞したの。それをそのまま買ったからモデルさんが着た着物なの。1回着ちゃったっていうものだし、私は森秀さんで仕事してたから、裏も全部ついててこれ2万円だったかな。こういうのもいっぱいあったのにね。

―― あ、本当だ、(縫い取りの)糸が見える。

岩倉 見えますでしょ。

――これ、着せてもらっても良いですか!?(肩にかけてみる)あ、なんか気分的にピシッっとします。

岩倉 こうやって着るの。丁度良いんじゃない?

――これ岩倉さんが織ったんですか?

岩倉 これあたしが織ったんですよ。横目って言う柄だったのね。でもシミを抜くにも着物は高いからね、だからクリーニング屋さんに持っていってみようかと思って。5,6千円で済むって話だから。
  ……これとこれは森秀の着物。これはラメ。

――ラメをこうやって着物にいれるのって森秀の特許でしたよね?

岩倉 そう。でもこれは糸が巻いてないラメで、本当に織りづらかった。でもどうしようもないよ、着物がこんなにあったって(笑)。

――この辺りの着物はどこのなんですか?

岩倉 これはね、桐生で染めてもらったんですよ。妹の成人式に別のを買ったんだけど妹が嫌だって言ってね。だから、白生地買って私の知り合いの染屋さんに染めてもらったんですよ。だけど妹の娘なんかも「嫌だよこんな派手なの」って。

――でも着る機会があんまりないですからね。

岩倉 だって成人式の次は結婚式で自分のお色直しくらいでしょう?

――今はほとんどウエディングドレスですもんね。

岩倉 そう。それか友達の結婚式。それでしばらく置いておくともうシミだらけになっちゃってるんだもんね。どうしようもないよ。
 こういうものの余った生地なんかもどこへやっちゃったんだろうか、みんな捨てちゃったのか。着物にしても余るんだけど、それがないんだもん。あればね、和田寅さんなんかが手帳のカバーにしてたじゃないですか。あれは良いアイディアだと思った。だからしようと思ったらないんだもん。だからね、今度お召しの縫い取りのところ剥がし取ろうかと思って(笑)。

――森秀の着物は何着ぐらいお持ちなんですか?

岩倉 私の着物は2つで、帯がいっぱいあるだけ。あとは妹のと私が母に買ってやった無地の着物がありますよ。それと羽織が何枚かある。私のと母親のと、あと、道行織りっていうのがある。道行は私も全然手つけてないから分からないんです。探しておけばよかったね。「いいなぁ」と思って母親に1枚買って妹にもね。
 森秀にいるときはみんな着物作って競争で着てたりしたんですよ。私は森秀のは買えなかったですけどね。弟の奥さんが「この着物良いね」って言うと、あげたりして。それであと弟が結婚する時に相手が千葉の人だから、森秀から反物買って結納納めの時に持たせてやった。だから自分のもの買うより兄弟のもの買う方が多かったんですよ。

――でも社員割引みたいなのがあったんですか?

岩倉 安かったは安かったですよ。大体2万ぐらいで買うから。
(着物をたたむ姿を見て)

岩倉 良いのよ、大丈夫よ。あとでちゃんとしておくから。

――どうやってたたむんですか?

岩倉 こうやって着物を広げて半分に折るでしょ?そしたら今度は今折ったところに袖を合わせるでしょ?そしたらここんとこをつまんで、こうやるん。

――ちゃんとたたみ方があるのかぁ。

岩倉 そう。そうすると、タンスの長さに丁度合うんですよ。
(再び話を聞く)

――森秀を辞められてからはどうされていたんですか?

岩倉 埼玉に行くことになったんですけど、森秀の亡くなった奥さんが、織機を持っていきなよって言ってくれたんです。けど、あっちにもあるんですよね、埼玉のほう行っても機の音がしましたよ。でも、結局は別の仕事を始めたんですけどね。
 でも本当に桐生にいて楽しかったです。私はどこに行っても仕事が好きだったから何やっても楽しかったですね。

――良いですね。どこ行っても楽しいなんて。

岩倉 桐生にいて、機織りだけしてたんじゃつまらなかったと思う。大宮の方にも25年いたからお友達もできましたしね。

――まだ仕事はあったけど、辞めちゃったんですね。最後までやっていたらそれはそれで大変だったでしょうね。

岩倉 ちょうど私が森秀を辞める時はバブルに向かっている時だったし、森秀に入って機織り始めたのも機が全盛期の時だったからね。それでこう言う人間だから、一番威張っちゃっていたから(笑)。年上の人のことなんか聞かなかったですよ。

――でも結局は一番の稼ぎ頭だったんですからね。

岩倉 人一倍働いていたから、みんなも何も言わなかったけどね。でも、また機織りやりたいと思いますよ。もう70歳だから難しいですけどね。

――本当にこの取材をしてて思ったんですけど、今までに4人インタビューしてきて、みんなさん70歳前後でしたが、年相応に見えないんです(笑)。それに仕事に誇りを持っていて、現役の方も仕事は減ったけど、やってて楽しいっていうんですよ。

岩倉 だから、私が埼玉に行かなかったら、今でもどっかの機屋さんに入ってやってたかもしれない。今でも機を織る機会があればやってみたいと思いますしね。

西川雅哉(群馬大学工学部1年)
 インタビューと言うものを通して、僕は人と話すことの楽しさと大切さを改めて知ることができたと思います。元々人と話すことは好きでしたが、桐生のおばあちゃんはとても元気でとても楽しい時間を過ごすことができました。そして、その力の源は、若い頃に培ったものだということもはっきりわかりました。インタビューをしていくうちに、岩倉さんがどのように若い頃生活していたかを知りました。岩倉さんの「だから私はどこに行っても仕事が楽しかったですよ」という言葉がすべてを語っているように思います。
 そして、もうひとつ大切なことに気付きました。それは、このように手に職をつけて生きてきた人の「道」を途絶えさせてはいけないということです。インタビューを通して「道」を広げることの手伝いができることを本当にうれしく感じています。この本を読んでくれた人たちに、少しでもその大切さが伝われば良いと思います。 
 
◆インタビュー取材データ◆
【日時】2003年11月11日(火曜日)19:30〜22:00
【場所】岩倉氏宅
【インタビュアー】中村愛子、西川雅哉、小保方貴之
【撮影等】小保方貴之

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はじめに
桐生お召しから龍村織物専属デザイナーへ
“柄”を生み出す演奏家
桐生で唯一の絹専門の染め屋
今もなお現役で筆を握る図案作家
2人の整経屋からみた現実と未来
高速化に対応して世界屈指の職人へ
桐生織物の職人たち
機械直しから紗織の名人へ
全盛期を支えたお召し織物の稼ぎ頭
森秀一番の稼ぎ頭
あっという間の20年
最盛期の就業体制
岩倉さんの着物の数々
経糸と共に繋いだ夫婦の絆
商品の価値を決める最終段階
桐生の織物産業を陰で支える
あの光景を再び。桐生で八丁撚糸機を動かした立役者
シンポジウム
職人が語る桐生お召しの系譜

ちょっと一息/コラム
お召しチャート
編集後記

 

たくさんの着物の中から学生が気に入ったものを羽織らせてもらっていた。

普段は着物を着る機会のない学生も実際に羽織れば思わずニッコリ。

着物の色、紋の華麗さに見とれる学生達。

最後は着物のたたみ方を教わっていた。