桐生お召しに関わる職人たち
桐生お召しと職人の系譜
桐生市老人クラブ連合会/NPO法人桐生地域情報ネットワーク
桐生市在住 佐藤正巳氏/佐藤氏の自宅にて
 佐藤さんは、紋紙の命令をジャカードに伝え、経糸を操作する架物を作る職人であり、今現在も現役として世界各国からの依頼に答える職人として活躍している。
 趣味の瓢箪作りにもその職人気質が見られ、またスイカ作りにおいても、新しいことへチャレンジする姿勢は、全くと言って良いほどお年を感じさせない。
 特に2回目の取材では、ビデオや手作りの架物の模型などを交えて、さらに黒板なども使いながら説明して頂いた。学生達も取材というよりは講義を聞きに来ているようで充実した時間を過ごせたようである。

機拵え/佐藤正巳氏 第1回インタビューより

佐藤 今日はジャカード(Jacguard)に関してのお話をしましょうか。
 まず織物の組織には平織りと斜文織りと朱子織りという、三原則があるんです。平織りというのは糸を規則正しくガチっと組んで織るものです。斜文織りというのは糸を斜線を描くように組んで織るものです。朱子織りというはやや変則的に組んで織るものです。
 もともと昔からある普通の平織りの織物を作るのがドビー(Dobby)というもので、それに対しジャカードは紋様を入れることができるものです。これを考えた人はフランス人で、フランス名でジャカール、英語名でジャカードという人で、用意した資料を見ればわかる通り織物関係の博士みたいな存在ですね。この人が1801年、47歳でジャカードをある程度完成させたわけです。

――今だとドビーとジャカード、どちらが多いんでしょう?

佐藤 桐生ではジャカード織りが多いですけど、日本中世界中をたずねてみても、ドビー織りが80%、ジャカード織りが20%ぐらいの比率ですから、どうしてもドビー会社の勢力のほうが強いんですよ。だから柄が出せるようになったジャカードも、当初は痛めつけられましたね。でも段々とその性能が認められて、需要は多くなっていきました。
 フランスというのはジャカードの発祥地だけあって、世界でも非常にジャカードが多いんです。その次にイタリア、ドイツ。人口がその三国は似ていますよね。フランスからイタリアにいって、イタリアからドイツ方面に伝わったようです。

――そうなると、やはり織物のメインはドビーになるんですね。

佐藤 今でも比率的にはそうですね。資料によると、明治5年に京都の伝習生たちがフランスに行って講習を受け、材料を船に積んで帰ってきたそうです。その情報をいち早くキャッチして勉強したのが、我々桐生の先祖ということです。
 その後、明治19年に皇居増築のため桐生と京都に発注があったんですね。そこで双方はジャカードを使ってしっかりと納期に納め、日本中にその力をアピールし「西の西陣、東の桐生」とまで言わしめるようになったんです。ジャカードに関してのろしを挙げたようなものですね。そしてこの二つの街を中心に、周辺へとジャカードが広がっていったんですよ。

――それがジャカードのルーツなんですね。西陣でも桐生でもジャカードは盛んなんですか?

佐藤 西陣では川島織物さんが大きいところですね。最近だと新幹線のカーテンなんかはほとんど川島さんがやっているようです。
 桐生では、広幅では共立さん、小林当さん、小幅では森秀さんや森正さんなんかが大きくなりましたね。帯屋さんは境野方面だとか広沢方面が多かったと思います。


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はじめに
桐生お召しから龍村織物専属デザイナーへ
“柄”を生み出す演奏家
桐生で唯一の絹専門の染め屋
今もなお現役で筆を握る図案作家
2人の整経屋からみた現実と未来
高速化に対応して世界屈指の職人へ
織物の基本
機械の高速化により変化
機拵えの仕事
織機について〜ビデオを見ながら
職人の趣味
経営者と職人
桐生織物の職人たち
機械直しから紗織の名人へ
全盛期を支えたお召し織物の稼ぎ頭
経糸と共に繋いだ夫婦の絆
商品の価値を決める最終段階
桐生の織物産業を陰で支える
あの光景を再び。桐生で八丁撚糸機を動かした立役者
シンポジウム
職人が語る桐生お召しの系譜

ちょっと一息/コラム
お召しチャート
編集後記

 

現在も現役でお仕事をされている佐藤さん。

インタビューでは割愛したが現在のお仕事(参照)についてもたくさんのお話を聞いた。