桐生お召しに関わる職人たち
桐生お召しと職人の系譜
桐生市老人クラブ連合会/NPO法人桐生地域情報ネットワーク

――どうしたら復活すると思います?織物の産業って。

渡辺 やはりあれじゃないですか。どんどん昔のものを掘り起こすなり、そういうことを機屋さんがしてゆくことでしょうね。結局、機屋さんが中心ですからね。機屋さんが自覚しなかったらその仕事も出てこないでしょ?必要がなければ我々はやれないですからね。「こういうものをやってください」と注文があれば頑張ります。
(新聞記事を見ながら)
 この記事読みました?境野町1丁目の成就院さんというお寺なんだけど「天井の格子絵」っていうのを織物で作ったんです。この経糸の整経うちでしたんです。意匠は新井さん、染めは橋本さんと小池さんです。織物自体は佐敬産業さんが中心になって作ったんです。こういうことをどんどんやって頂ければと思いますね。これが11月の1日、2日かな、公開して。写真撮ってきましたけど。

――大体古いお寺なんか行くとこう天井の格子に絵を描いてますよね。桐生では織物でやるってのはすごく意味がありますよね。

渡辺 だからこんなようなことを機屋さんがどんどんと企画してやって頂ければね。
(格子絵の写真を見ながら)

――きれい。糸じゃないみたいですよね。

渡辺 緯糸でね。99.9%の純金の箔を使っているから豪華ですよ。柄はね、全部起こしたんかな。同じ柄でもね、配色全部変えてやったんです。箔とね、撚って羽衣にして織っているんですよね。同じ金でも二種類の箔を使っているしね。だから箔でずいぶんお金が掛かっちゃったようですよ。純金の箔を使ってるから。

――こういうのいいですよね。桐生ならではですよね。

渡辺 ええ、全国的にもないっていうことで。

――今まで着物になってたり反物になったりしていたものを絵として考えるのか。あと例えば襖絵の代わりにこんなのにしちゃってもすごい豪華な部屋になりますよね。

渡辺 もうそれはやってますよ。新井實さんがね。あの方は写真織りっていって写真をコンピュータで取り込んでそれを織ってますから。もうずいぶん古くからそれをやってます。写真織りで特許かなんか持ってると思いますね。
 で京都のね、風神雷神の図ってご存知ですか?あれのコピーを織物で作って博物館で見せているんですよね。実物はしまってあって、それを見せているんです。そういうのをやってます。新井實さんは伝統工芸士会の桐生の会長で、全国伝統工芸士会の副会長さん。

――桐生の織物はそういう高級志向に耐えうるものですよね。

渡辺 あとはもう、機屋さんもそういう高級なものを一着分でも売ったりしないとだめだと思います。今は50メートルとか100メートルが単位でしょう?そういうんじゃなくて一着分で売るぐらいの。まだそれはやってないですけどね、桐生では。

――それはお金持ちの人にとっては・・・。

渡辺 誰も着てないもんですからね。世の中に1着しかない。

――織りからオーダーメイド。ちょっと良いですね。

渡辺 あとは有名デザイナーと手を組んでやることも必要じゃないでしょうか?

――技術はあってもそれを羽ばたかせる仕掛けができないんじゃないかな。そういうふうに思ったりするんですよね。

渡辺 例えば桐生織で帯や着尺を作って桐生織にもっと付加価値を付けていかないとね。

――完全受注で、1着分から織りからやれるってことになれば、在庫も持つ必要もないし、そういうふうに小回りがきけばもっと高級志向の桐生織ブランドを確立できる可能性がありますよね。

渡辺 それは機屋さんの努力次第でしょうね。それにはまずサンプルを出して「こういうもんができますよ、いかがですか?」って売り込みが必要だね。
 例えば東京にアンテナショップとして、シルク専門の店を出店するとか、そこ行けば桐生織のシルク製品がいろいろあるという場所を作る。そういうのも1つの方法でしょうね。また、インターネットのホームページを立ち上げてネット販売するとか。見本市だけじゃなくってね。
 それの一番良い例は、現在やっているプロジェクトで桐生織の伝統工芸士が文化服装学院へ行って、生徒さんが設計した織物を実際に織って生徒さんに渡すというのがあるんです。その布地で自分がデザインした服を仕立ててファッションショーや文化祭なんかで使うんです。

――じゃあ実質1着分のオーダーメイドをやっているんですね?

渡辺 そう、やってるんですよ。生徒さんが設計して、それをコンピュータで読み込んでダイレクトジャガードで織ってっていうように、実習でそれやっているんです。毎週1回ずつ行っているのかな、交代でね。織機も桐生で2芒付したんです。文化服装学院に。それで夏休みになると向こうから生徒さんが見学に来るんですよ。2泊3日かな。梅田の方に泊まって、工場見学したりなんかして。

――渡辺さんところにも見学にきますか?

渡辺 うちは来ないですね(笑)。主に機屋さんへ行くから。整経は準備段階ですからね。生徒さんは感動するんですよ、自分で設計して、こういうのやりたいって言うとその通り織物ができるわけですからね。

――それは文化服装学院から桐生に依頼があって始まったことなんですか?

渡辺 話し合いかなんかで寄付したんでしょう。じゃあ動かしてみてくれとか、そういうのを授業に入れるっていうんで。で、桐生の伝統工芸士会から技術のある人が行って、実際にやって、柄を織って見せてやるわけですよね。その他、織協の佐藤富三さんとか新井實さんとかも行って授業なんかもやっているらしいですけどね。

――でも確かにそういう話聞くと可能性があるような気がしますよね。

渡辺 そうすると文化服装学院を出た人たちが「こういうものができるんなら桐生に頼みたい」とか、そういう意識を持ってくれるのを期待してるんですよね。「桐生行けばこういうもんができる」っていう。

――「桐生に行けばなんでもある」って思えれば、いろんな仕事が入ってくるわけですよね。でも実際「桐生にはなんでもある」って言っているデザイナーもいるみたいですけどね。

渡辺 確かにいろんなものができますよ。桐生はね、昔からの技術があるから。ただ、だんだんとその技術がなくなってゆくっていうかな。やる人がいなければ衰えていくしね。

――だからそういう新しい仕掛けをして新しい産業を盛り上げていこうっていうのと同時に、次の世代の職人さんを育てていかないといけないですね。そのどちらか片側だけでは難しいですよね。

渡辺 なかなかねぇ、私も産地の崩壊に繋がらなければ良いなと思ってるんですけどね。うち自体だってね、跡継ぎがいないしね。娘は北海道に嫁に行っちゃったから(笑)。函館にいるんだけどね。
 伝統工芸師会の経糸の授業をよくうちで公開授業としてやるんですけど、私なんかは技術をどんどんオープンにしているんです。やりたい人はどうぞ真似してやってくださいって。うちの場合は私の代で終わりですから。「見せてくれ」って言われればいつでも見せますよ。

――でも可能性があるんだなってのがわかりました。

渡辺 だって人間「衣食住」って言うでしょ。着るものがなかったら人間生きていけないんですよね。その次が食べることと住むことでしょ。衣食住で言えば「衣」が一番なんですよね。

渡辺禎貴(前橋工科大学工学部2年)
 渡辺整経は桐生天神様のすぐそばにあり、群大工学部にもほど近い。この辺りは私にとっても馴染み深い場所でした。今回、取材先がこの界隈だということを知って、私は少し意外に思いました。「えっ、こんな近くに?」そんな意外さです。
 桐生は織物の街として有名ですが、自宅と大学とを往復する漫然とした生活の中では、直に織物に触れる機会はほとんどありません。私は桐生で2年を過ごし、「織物の町・桐生」を知ることのないまま市外へと移って行きました。
 現在、市内でおよそ100軒ぐらいの整経屋がまだ営業しているといいます。往時より減ったとはいえ、100台以上の整経機が稼動しているという事実はとても新鮮に映ります。普段何気なく通っていた路地のそこらじゅうに「織物の町・桐生」が息を潜め、今日も静かに伝統を紡いでいるのです。
 インタビューを終え、すっかり暗くなった町並みを眺めていると、「織物の町・桐生」が確かなリアリティを持って私の胸に迫ってきました。
◆インタビュー取材データ◆
【日時】2003年11月17日(月曜日)17:00〜19:00
【場所】渡辺氏宅
【インタビュアー】渡辺禎貴、後藤美希、小保方貴之
【撮影等】小保方貴之

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はじめに
桐生お召しから龍村織物専属デザイナーへ
“柄”を生み出す演奏家
桐生で唯一の絹専門の染め屋
今もなお現役で筆を握る図案作家
2人の整経屋からみた現実と未来
◆整経屋/田中光治氏
整経屋の仕事
解散した桐生織物整経協同組合
整経屋の昔と今、そして未来
◆整経屋/渡辺俊氏
整経屋という仕事
整経屋としての50年
整経屋今昔物語
織物産業の未来は
高速化に対応して世界屈指の職人へ
桐生織物の職人たち
機械直しから紗織の名人へ
全盛期を支えたお召し織物の稼ぎ頭
経糸と共に繋いだ夫婦の絆
商品の価値を決める最終段階
桐生の織物産業を陰で支える
あの光景を再び。桐生で八丁撚糸機を動かした立役者
シンポジウム
職人が語る桐生お召しの系譜

ちょっと一息/コラム
お召しチャート
編集後記

 

渡辺さんからも跡取りができにくいという整経業の厳しい状況のお話を聞いた。

渡辺さんには桐生織物業界再興へのヒントを頂けた。それらの実現には関係者の協力体制が必要であることがわかった。

これらは整経に関するデータの早見表。確かな技術の裏側には職人の工夫が必ず見られる。

整経したタマをチェーンブロックで吊り上げて外に出せるように工夫している。