吉田 整経組合の看板があった?
田中 ええ、大切に工場内に掲示してありますよ。
奥さん 私が掛けておいたんだよ。
田中 最近まで『桐生織物整経協同組合』っていうのがあったんですよ。
奥さん 東の整経組合でもこの前、先月辺りに解散しちゃったんです。あまりにもやる人がいないんで。
田中 仕事も減って、跡取りも誰もいないですからね。
奥さん 桐生の整経組合の本部だったんですけどね。
田中 前は事務員まで雇って、組合長なんかもいて、事務所もちゃんとあったんですけどね。そこの一階にあったんですよ。それがもう、何年くらい前だったかな。
それも家賃も当然払わなくちゃならないのが払えなくなって、組合費が集まらなくなっちゃったものですから維持が出来なくなって、事務員も辞めちゃって。
それで今度は理事長の家が境野にあって、そこを事務所にしてしばらくやっていたんですけど、それもまた段々と組合員が仕事を辞めちゃって…。東西南北色々な場所の支部も、人数が歯が抜けたように少なくなっていっちゃって、自然になくなっていっちゃって。それで支部が残っている場所だけでやってたんですけどそれも段々と駄目になっちゃって。そして本部が辞めちゃったんで、残っていた支部が、支部だけの交流でやっていきましょうとなって、東だけで今年ぐらいまでやっていたんですよ。で、7人ぐらいいたんですけど結局無くなっちゃいましたね。
――多いときは東にはどれくらいいたんですか?
田中 十数名いたんじゃないかな。最後に残ったのが6軒ぐらいかな。
――東西南北とあったわけですけど、どこの地区が多いとかはなかったんですか?
田中 だいたい平均していましたね。桐生全部であわせると、昔は200軒以上あったんじゃないかな。
――整経屋さんは今は何軒ぐらいあるんですか?
田中 今は東に5軒か。それかける東西南北、境野、川内、相生、梅田、各支部でそれくらいあるんじゃないですか。ですから50軒ぐらいですかねぇ。どこも跡取りがやってるんじゃないですかね。跡取りって言っても一番若いのでも40歳過ぎでしょうね。
――最低どれくらいの長さから仕事を請けるものですか?
田中 そうだねぇ。最低でも1反、40メートルぐらいかな。
――整経屋というのは和装とか洋装とかは関係ないですか?
田中 やっぱり整経屋によって得意、不得意がありましたね。私なんかはあまり大きなものは得意じゃないですよ。要するに洋反みたいな幅の広いものですね。
で、お召しとか帯、それがほとんどですね、うちは。本町六丁目の河内整経ですけど、あれなんかは広幅専門ですね。
で、整経機もがっちりしていて、テトロンやナイロンは整経するとおっかなくてね、タンプルという大きな輪っかに巻きつけるんですけど、巻きつけておくとピシッと割れちゃうんですよ。糸の締りで割れちゃうんですね。ですから、中に入れる輪っかも、ウチなんかは3つぐらいしかないんですよ。けど、10ぐらいはめて整経するんですよ。そうすればいくら締まったって、丈夫ですから割れないんですね。
で、そういうのになると、タンプルの回転も速いんですよ。何千ヤードって整経しますからね。うちの帯なんかは何百ヤードですから。1ヤードってのは91.44メートルですね。
奥さん タンプルひとまわりは?
田中 んー、4メートルぐらいかな。 |