桐生お召しに関わる職人たち
桐生お召しと職人の系譜
桐生市老人クラブ連合会/NPO法人桐生地域情報ネットワーク
桐生市在住 小堀隆氏/小堀氏の自宅にて
 図案屋で仕上がった紋図(星図)をもとに、紋紙に穴を開けてゆくのが紋切り屋である。紋紙を彫るには、数多くの決まり事があり、「どうしたらどうなる」の基本事項は非常に複雑なものであった。
 ジャガード機が導入されることになって、桐生お召しは紋織物として確固たる地位を得られたが、その裏側には、小堀さんのような実直な職人の姿があったのだ。 桐生織物の伝統工芸師となった小堀氏の頭脳は、コンピューターそのものようであった。。

紋切り屋/小堀隆氏 第1回インタビューより

――意匠図から紋紙におこして、それをジャカード機にかけて、初めて織物が始まるわけですよね。

小堀 意匠紙を元に紋紙に穴を彫るわけですけれど、それまでにうちの仕事というのは色々とありましてね。
 (短冊状の紋紙を数枚取り出す)
 これは紋紙のひとつのカード(右下写真参照)ですけれど、まだこういうものを使っているところもあります。少し違うのは、今は上に紙を貼っていないんですよ。昔は紙を貼ったんですよ。
 普通の生ボール紙にこういうハトロン紙を貼って、それでやるのが普通だったんですよ。最近では何も貼らないで、製紙会社から来たものをいきなり紋紙として使うんですけど。昔は、ハトロン紙を貼る職人もいましてね。生のボール紙ってのが、ちょうど、このテーブル1枚ぐらいの大きさなんですけど、その両面にハトロン紙を貼ります。それを乾燥させるわけですが、その時も平らになるように乾さないといけないので、それもまた紙を貼る人の技術が必要でしたね。そういう方は渡良瀬川沿いの堤防に紙を干してました。

――その方たちの仕事の名前はなんておっしゃったんですか?

小堀 貼り屋と言っていました。障子を貼る、貼り屋です。
 だから、製紙会社から紋紙の材料を買うと、うちに来ないで貼り屋さんに行っちゃうわけですよ。それを貼り屋さんで貼り上げて乾燥させて50枚ずつに束ねて、それをうちに持ってきて、そこでようやく裁断できるんですよ。
 これは余分なことになるんですが、この普通の紙をハトロン紙って言うんですけど、これだと機屋さんの工場の中があんまり明るくないって言われたんですよ。それでうちで独自に製紙会社に注文して、白っぽい紙を作ったんです。これはうちだけしかやらなかったらしいですけど、これでやってみたら工場が非常に明るくなったって言うんですよ。ちょっと高価になったんですけど、これは喜ばれましたね。
 紋紙ってのは、何度も何度も繰り返して使って機を織るわけですから、枚数が小さいものだと傷むんです。紋紙そのものも傷みますし、編み糸も傷みます。紙そのものはハトロン紙をあてたほうが全然丈夫だったですね。ただ手間暇かかることと単価が高くなるので、だんだんこういうものに移行していったんですよ。(別の紋紙を取り出し)これが現在のものですが、紙を貼っていません。そのために貼り屋さんという商売が終わっちゃったんですよね。
 もうひとつ、昔はみんな紋紙を手で編んだんですよ。それが昭和30年ごろに十日町で機械を作りましてね、それから機械編みになったんですよ。そのために紋紙を編んでくれる編み屋さんというのがやっぱり廃業になっちゃいましたね。
 紋紙に使う紙は、まず大きい紙を二つ、または三つに裁断して今度は短冊形に裁断するんですけど、これも手で裁断したんですよ。大きな裁断機がありまして、それを使って裁断したんですね。これもやっぱり機械化されましたよね。この紙ができ上がって初めて紋紙に穴を開ける段階になるわけですけどね。

――紋紙は幅と長さが決まってるんですか?

小堀 機械によって変わることはありません。同じ機械だったら全部一緒です。
 (別の紋紙を取り出す)
 これは京都のものなんですけど、12穴あるんですよ。これは京都も桐生も変わらず12穴ですね。
 紋紙には口数(以下の数字は1枚の紋紙に開けられる最大の穴数を指す)というのがありまして、400、600、900、1200などとあります。桐生は400は使いませんね。これがだいたい1000の口なんですけど、1000口というのは12穴で、だいたい42〜43側開いている計算なんですね。12(穴)×42(側)ですから504(口)になってそれが左右二つでだいたい1000(口)ですね。
 当時は技術的な面やら何やらと色々苦労しまして、京都のほうまで行って勉強したりもしましたけれど、今でもそれらは活かされるわけですよね。
 これは当時、私が書いた指示書です。1、5、9、2、6、10とありますよね。この紙は、「1番と5番と9番だけ彫りなさいよ」という指示なんですよ。次に「2番と6番と10番だけを彫りなさい」という指示なんですよ。これはなんてことないんですよ。
 大変なのは「絵を描いたところは全部切っちゃいなさいよ」とか、1マス2本だった場合は「1も2も切っちゃいなさいよ」とか。また、2の手2の手、1の手1の手というのがあって、これは2というのは「偶数番号だけをみんな切りなさい」、1というのは「奇数番号だけを切りなさい」という指示なんですよ。その他にまだ8枚朱子というのがありますから、これは意匠紙には全然書いてないんですよ。これを頭の中で判断してみんな彫っていくわけです。大変だったですよ。今はコンピュータだから世話ないですけどね。
 それとお召しの場合は、非常に大事なものがありまして、棒刀と伏というんですが、それはご存知でしょうか?
 ジャカードの針1本で経糸が1本というは普通のあり方というか、桐生でいう一本吊りですね。それには棒刀とか伏というものは不必要なんですよ。それを1本の針で4本の糸、お召しはだいたい4本でしたね。4本の糸を吊るものは、色んな組織に使いたいから一本ずつ上げられるようにしなくてはならないので、それを上げる方を棒刀というんですよ。
 棒刀ってものはだいたい24本です。そうすると24本単位で完全できる組織があげられるわけです。例えば平織りっていうと、2本で完全できますね。あとは4枚組織、4枚の綾、24は4で割れますから、これはできますよと。それとあまり使わないですけど6枚の綾もできます。8枚と12枚の朱子もできます。こういうものはよく使いましたね。お召しの場合は8枚を使いましたね。というのは一本ずつ上げられるわけですから、あれを取り込めばいいだけですから。
 それとみんな上げちゃうと今度は柄が浮いちゃうので伏を使います。棒刀は上げる装置ですけど伏は降ろす装置です。お召しでは全部に伏は使いませんが、これには入っていますね。伏の1、伏の2となっていますね。これで緯糸を交互に留められるわけですよ。そういう装置なんですよ。お召しには棒刀と伏は付き物ですからね。

――ジャカードは織機と連動しているから、織機の動きが頭に入ってないとだめなんですね。

小堀 じゃあうちの工場をご覧になってください。今は99.9%コンピュータなんですが、ごくまれに手彫りをすることがあるので動くようにしてあるんですよ。いちいちコンピュータで打って、紋紙に穴を開けるんだったら手でやったほうが早いというものがたまにあるんですよ。
 では工場に移動しましょう。

(工場に移動する)

 これが紋紙を彫る機械なんですよ。動かしてみます。ピアノマシンといいます。すごい活躍したんです。これは足でガチャガチャやらないで動力でできるんですけど、今は故障していて動かないんですよ。だから本当に一番昔のもので試しにやってみますね。この仕組みはさっきの教科書に出ていた通りですよ。
 真ん中に大きな針、他に8つのひと回り小さな針あるんですよ。そっちを親指以外の左右8本の指でそれぞれ担当して、左右の親指が手前の4つを担当するんです。全部で12箇所押すところがあるんですよ。マスを右から左へずーっと彫ってゆくんですよ。今彫ってみますね。
……1、2、3、4とありますよね。何でも良いから色だけ全部穴を開けるという風にしてみます。
……この1ってのが、これです。次は2、次は3、それで4の穴が開きます。5、6…12、13と色通り穴が開いてゆくわけです。
 次に手の動きをよく見られるように5枚朱子を彫ってみますね。まだ手は動くと思います。
……綺麗に彫れました。これが5枚ですね。1つあいて4つ遊んでいるわけですよ。工場の人はもっと複雑なものを、もっと早いスピードで彫ってましたね。
 これは一番最初に練習させられたんですよ。ゆっくりやるとこういう感じです。ピアノマシンで穴を彫るというのはこういった具合なんです。
 それででき上がったものをそこで編むわけですが、編む機械を動かしてみましょうか。
……こうやって、ここまでいくと織機にかかるようになります。

――この機械で何年ぐらい経っているんですか?

小堀 これは20年ぐらい使っていますね。今はもうほとんど使いませんけどね。(ワンパンチの機械を指し)この機械だってうーんと活躍したんですよ。何かというと、今でいうコピーですね。良い柄は同じものをコピーするわけです。コピーしたい紋紙を掛けると穴が開いているところだけ彫ってくれて、同じものができるんですね。
 一度に1000個穴があるものでもできるんです。動かしっぱなしだと1時間に4000枚ぐらいはできるはずなんですけど、実際は止まったりなんだりしますのでせいぜい2000枚ぐらいですかね。
 まぁ工場はこんなところですかね。

(工場から戻る)

 吉田さんがよく縫い取りお召しの話をしていますが、昔は絵抜きというのが多かったんです。
 縫い取りお召しというのは模様の緯糸が縫い取りの裏で遊んでいるんですよ。それをこれだけの幅のお召しがあったとすると、その幅いっぱいで緯糸が表へ出るか、裏へ出るかで生地に留まっているんですよ。緯糸は表に柄が出るとあとは裏で遊んでるわけです。その遊んだ糸を裏へ留めちゃうんですね。それを、さっき話にでた伏で操作するわけです。
 だから絵抜きお召しと縫い取りお召しと、また両方を一緒に使った絵抜き縫い取りというものもあるわけなんです。そういうお召しがありましたね。そうすると機械の動かし方がまた複雑になってくるというわけです。これも苦労しましたね。
 これをご覧になってください。顕微鏡なんナすけど、糸とか生地とか、こういうものを見るにはこれが良いんですよね。目盛りがあるんですよ。この目盛りの中に糸が何本入っているか生地そのものを拡大して見るんですね。緯糸の密度をしょっちゅう調べていましたね。
 模様が出ている緯糸の下がどうなっているかというのは針で見ます。そういったものを見るには分解鏡ではちょっと大変なんです。ネクタイなんかかなり細かいものですから、分解鏡では無理ですね。

――これはどのくらいの倍率なんですか?

小堀 これは低いですよ。えーと1.0×15だから15倍ですね。一番低い度合いですね。これは120倍までできるんですよ。接眼鏡と対物鏡を換えるだけでね。

吉田 話は変わるけど、今も編み糸は木綿?それともナイロン?

小堀 いや、相変わらず綿です。普通の生ボールにハトロン紙を貼るというので、ただ綿糸を撚ってあるだけの編み糸を使うんじゃ弱いもんだから、ロウ付けをするんですね。これにはロウが付いているんですよ。ロウでこれを煮込んでね。私はやらなかったんですけど、うちの親父がやったんですよ。普通の綿糸を買って、大きいロウを大釜で煮てね。親父はよくタライの中でロウを染み込ませるために手でやっていましたね。戦後も早い頃はそういうことをやっていましたね。
 機械編みになってから、平らじゃないと駄目なのと手間が掛かるとの両方で、だんだんとやらなくなりましたけれど。糸の強さは昔のほうが強いですよね。当時のほうが良い材料を使っていたんじゃないでしょうかね。
 それと本には、紋紙のサイズは2つ書かれているんです。我々が桐生で使っているものはだいたい桐生版とか関東版とか言われているものです。京都のものと比べると穴の大きさがわずかですけど違うんです。京版と我々は言うんですけど、うちにも京版を切れるようにピアノマシンが1台だけあるんですが、もう手でやることもないから必要ないんですけどね。ですからジャカードっていうもののサイズも西と東では違います。

――機械が違うということですか?

小堀 結果としては機械が違うんですね。
 向こうへ納めるときにはピアノマシンが違うんですよ。向こう用のピアノマシンでやらないとサイズが違いますからね。

――機械のシャトルの数とか、その機械の種類なども違うものですか?

小堀 シャトルの数なんてのは変わらないんですけれどね。あくまで紋紙のサイズが違うんですね。変えなくちゃならないのはピアノマシンです。京都の仕事をするときは京版の機械を使わなきゃなりませんからね。関東でも多少あるんですよ、京版を使っているところがね。川越あたりは今でもあるんですよ。なんで京版なんて入れたんだろうなぁと思いましたね。

――紋紙自体も違うわけですか?

小堀 紋紙は同じものです。穴のサイズが違うだけですからね。
 お召しっていうのは経糸が4000本ですよね。それで1尺5分、約30センチだから、密度が約131本/1センチになりますね。これはかなり密度の高いものです。ネクタイのかなり良いものがそれくらいですからね。ただお召しはこれだけの幅ですけどネクタイは広い幅で織っているものですけどね。
 だんだん進歩してきまして、お召しとはちょっと離れちゃうんですけど、この紋紙からエンドレスペーパーというのができました。あまり聞いたことがないと思いますけど、…持ってきますね。
 これがエンドレスペーパーです。私は横文字は弱いんですがエンドレスってのは繋がっているとかって意味だそうですねぇ。これはいちいち編まなくて良いわけですから、まさしく繋がっているわけです。ここにポンポンと点がありますよね。そこに穴が開くわけです。それで、大きさも違うんですよ。普通の紋紙はこの大きさで1000口ですよね。こっちは幅は小さいけどこれだけで1344口もあるんです。
 昔、製紙会社は紋紙用の紙に頭を悩ませたそうです。製紙会社ってのは大量生産するものですが、例えば新聞紙でもダンボールでも大量ですよね。しかし紋紙ってのはそんなに量を作りません。その上うるさいことを言いましたからね。あまり喜ばれなかったでしょうねぇ。でもちゃんと作ってくれましたからね。今は本当にこれを作ってくれるところはほとんどないですね。よくやってくれると思います。

――特注で作るわけですか?

小堀 特注ですね、これは。厚さも色々ありますからね。それで伸びちゃいけないだの曲がっちゃいけないだの言うからね。これだけ年数が経っても平らですからね。
 これが1344口のものです。これを二つくっつけると2688になりますが、これは桐生でもかなりあるかと思います。更に896を四つ付けたもの、3584ですがこれはかなり前のものになります。これはずーっと流れてるように見えるんですよ。四つがサーっと流れていて、絵になりましたね。
 これは余談になりますが、私が今思うんですけれど昔4000口なんてジャカードがもしあったとしたら、お召しはもっと変わったものができた可能性は十分にあるなぁと思いますね。1000口であれだけのものができているんですから、それは一本の縦針で四本の経糸を使うわけですが、それが縦針一本で経糸一本になるわけですからね。そうすると目茶目茶複雑な織物ができますからね。どっちに転ぶかわかりませんけれど、もしあったら面白いものができていたんじゃないかなーと思いますね。
 私はお召しで最初に仕事をさせてもらって、それから色々させてもらったけれど、基本はやっぱりお召しで今でもそれを愛していますね。当時は毎日のように「あれじゃない、これじゃない」と言われながら鍛えられましたね。技術を盗むというかね、そういうことをしましたよ。良い人にだいぶ仕込まれましたよ。なんだか懐かしい話になっちゃいましたねぇ。

 もしかすると小堀さんの仕事ほど昔から変わってきたものはないのではないだろうか。古い技術が淘汰されて衰退することは言い方を変えれば発展、進歩しているとなるのだろうか。
 懐古主義的に確かな技術がなくなることを単に寂しいと言いたいわけでもない。職業として継続不可能な状態である以上、その技術を残すべきだとも言えない。しかし、過去の確かな技術が残っていたからこそ、現在の技術が発展できるのである。
 そう、今現役で仕事をされている方々は、過去の技術を知っているのである。知ってるからこそ、今ある技術を上手に使うことができるのだ。では、20年後にはどうなっているのだろう。先人たちの知恵は、伝聞ではなく過去の教科書でしか確認できないのかもしれない。その時、織物はどうなっているのだろうか。過去の知恵がなくなったことで不可能な技術、発展性を失った技術が出てくるのだろうか。
 今、私たちはコンピュータを手に入れ、過去に置き換えたら数百年分の技術進歩を体感している。今残る技術を残すことが未来にとって有益かどうかは分からないが、少なくともそれを残すお手伝いはできるかもしれない。
◆第1回インタビュー取材データ◆
【日時】2003年8月7日(木曜日)20:00〜21:00
【場所】小堀氏宅
【インタビュアー】吉田邦雄、中野春江、長田克比古
         塩崎泰雄、小保方貴之
【撮影等】野口健二、吉田薫人

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はじめに
桐生お召しから龍村織物専属デザイナーへ
“柄”を生み出す演奏家
紋切り屋という仕事
21世紀最初の仕事として
現役で生きる教科書
繊維は永遠だと思っていますから
桐生で唯一の絹専門の染め屋
今もなお現役で筆を握る図案作家
2人の整経屋からみた現実と未来
高速化に対応して世界屈指の職人へ
桐生織物の職人たち
機械直しから紗織の名人へ
全盛期を支えたお召し織物の稼ぎ頭
経糸と共に繋いだ夫婦の絆
商品の価値を決める最終段階
桐生の織物産業を陰で支える
あの光景を再び。桐生で八丁撚糸機を動かした立役者
シンポジウム
職人が語る桐生お召しの系譜

ちょっと一息/コラム
お召しチャート
編集後記

 

小堀さんのお仕事は非常に緻密でそう簡単に理解できるものではなかった。

これが紋紙を編む機械。機械化は合理的な反面、仕事そのものをなくす職人も少なくなかった。

古い紋紙を取り出し、具体的な説明を頂いたが、想像以上に複雑な仕組みであった。

シャトルの動きを模式化して説明する小堀さん。

ピアノマシンで実際に紋切りを実演。リズミカルに機械が動く。

上が“ワンパンチ”と言われている紋紙のコピー機。

顕微鏡は織物の組織を確認するためには欠かせない道具の一つ。

学生の頃に使った教科書は今でも活躍しているということ。

顕微鏡で組織を見る吉田さん。上の写真が織物の拡大写真。

小堀さんは、桐生織の伝統工芸士に認定されている。