桐生お召しに関わる職人たち
桐生お召しと職人の系譜
桐生市老人クラブ連合会/NPO法人桐生地域情報ネットワーク

――そちらの箱に入っているのは何ですか?

保倉 これは、龍村織物で織っているものです。こういう復元をやったのは龍村平蔵が初めてです。この功績は大きいです。織って分析して今の技術でやってみる。真似をして作ってみるといいものはだいたい難しいですね。そのほかにこの人は、実用としての帯のデザインをやって、これはその豪華な帯です。
 この辺は正倉院の復元、数百年ぐらい前のものです。このスタイルのものは有栖川家に伝わったもので、一口にこういうスタイルのものを「有栖川」と呼ぶんです。詳しくは古い中国の四川省の一番奥で織られた織物です。どういう経路で有栖川家へ伝わったかは知りません。こっちは龍村平蔵が復元した、正倉院の有名な宝物です。実際に同じ大きさで織ってみたんですよ。全く同じ色で。これは初めての復元です。

――これらの元は正倉院に国宝として保存してあるものですか?

保倉 全部そうです。正倉院は国宝というか封印されていますからね。これは漢のものですね。織物ってものは結局もう一度やり直さないとできないものですから、それらを全部やり直して、私は全柄を担当しました。

――え、全柄ですか?

保倉 ええ。こっちも正倉院の名物裂ですね。これみんな有名なものなんですよ。本当はどうやって織ったのか知りませんけど。龍村との仕事では、手描きの部分を私が担当したんです。今はもちろんコンピュータを使いますが、紋図というものは、どうしても作らなきゃなりませんからね。

吉田 この仕事は1ミリぐらいの方眼紙に色を付けていくんだからね。

――イラストレーターですよね。

保倉 イラストレーターよりも実は難しいんですよ。イラストレーターなら描けばいいわけですよね。これは設計して合わせていくわけですから。

――作るべき大きさのものがあって、そこから自分でその寸法とか縮小、拡大というものを考えて、方眼紙に入れていって、実際に織る時にはその方眼紙を元にしてやる。その時の一番最初のところですよね。で、この図案があって初めて紋紙ができるんですもんね。

保倉 そうですね。これを一番忠実にやらないといけません。これらは平蔵が作った原本を元にしています。それをできる限り忠実に復元しています。
 (帯を見ながら)
 龍村さんは花びらの輪郭線なんかをわざとギザギザにしてね、それによって力強さを出しているんです。これは下手でこの様になっているんじゃないんです。荒く描くことによって力強さを出しています。

――実際の帯を見ると立体的になってますもんね。

保倉 そういう感じがあるでしょ。

――模様がはっきりしていますもんね。

保倉 かなり力強く出ますね。一番は、平蔵のセンスの良さですよね。何を選んだのかということ。

――龍村織物では、龍村氏の作品の復元をしたんですね。

保倉 具体的には龍村平蔵のものを復元しました。実は龍村のところに移る前からこういうものに何となく興味を持っていまして、本当にいいデザインでしたからね、名物裂は。で、偶然に龍村さんと出会いまして、意気投合しちゃって、それ以来30年ですね。夢中になってやっていましたね。
 これは、有名な柄で、私が復元して龍村の名前で織っています。

――これ成人式に着れたらいいな。年齢も世代も流行もないんですね。

保倉 着てみたくなりますもんね。
 流行がないから、割安なんですよ。例えば40万円ぐらいのもので、流行りものだと数年で流行が変わっちゃいますからね。でもこれだとすっと着られるので割安になるんですよ。勿論、こちらの方がやや高くなりますけどね。龍村の方でも上限は200万円ぐらいにしていますけどね。これは、180万円です。
 非常に力強い感じでしょ?それは、こういう所に秘密があるんです。わざと形を崩したり、柄の端をガキガキにしたり、強調しているんです。

――触ったら凹凸がありそうですね。

保倉 そういうことは非常に大胆にやっちゃいますね。

――細かいだけじゃないんだ。そういう良さがあるんですね。

保倉 ええ、そうです。それでこっちは正倉院の復元です。

――糸などはどうなんですか?

保倉 ほぼ同じに考えています。ただ、正確に同じにすると高い物になってしまいますね。それをやったのは平蔵なんですけど、それは今のもので織っていますね。
 これは漢の時代のものなんですよ。2000年前のものですよね。最近中国に自由に行ける謔、になって向こうで見てみるとたくさんあるんですよね。桜蘭という場所で3800年前のものが見つかったんですよね。着ているものは全部2000年前のものなんですよ。おかしいでしょ?おかしいと思って、西安の陜西省博物館長の猿先生に聞いてみたら、それはあなたの言う通りですよだなんて。
(一同笑)

保倉 あそこは観光地もない所なので、3800年にしたかったらしいんです。

――じゃあ、黙っていろなんて言われませんでした?

保倉 そんなことは言われませんでしたよ。逆にもっとほかの事も教えてもらってきましたよ。
 織物もね、色んな特徴がわかってくるんですよ。40年前に学校を卒業する頃、まだ紋織物というのはね、紀元100年ぐらいのもの(コプト織物のこと)だったんですよ。
 こういう四天王の柄があるんですけどね、それなんか最近ね、本当の技術がわかってきたんですよ。楊貴妃が出てくる時に玄宗皇帝がやられちゃう、『安禄山の変』というのがあります。安禄山という軍人が楊貴妃を殺させるんですよね。その時の安禄山の一族というのが、20年ぐらい前まではペルシャ系と教わったんですよ。
 ごく最近では、NHKでやっていたけど、場所をはっきりタジキスタンというんですか?そこの一族だったと言っています。滅ぼされちゃって、逃げ回ってその残存の子孫がこれの類のものを織っているんです。それは2000年前じゃなくて1800年ぐらい前ですか。隋、唐の時代のものですね。そういう事がだんだんとわかってくるんですね。

――(復元された名物裂を見ながら)これかっこいいですよね。この柄のシャツが欲しいな。

保倉 こういった名物裂を利用して、色んな作品を作るんですよ。こういった利用の仕方でバッグなどに使えますからね。これはこれしか使っていないですけど、結構高価なものなんですよ。

吉田 (一枚の布を指して)これがあの有名な狩猟だっけ?

保倉 狩猟紋。これはかなり有名なものですね。

――かっこいい、こんな柄のジャケットとかあったら高くても買いたいな。でも、4〜5万円じゃできないですよね?

保倉 1メートル2万円、横幅は1.2メートルで販売してますんでどうぞ。

――着物着たいとか言ったら大変なことになりそうですね。

保倉 実際に洋服を作っている人はたくさんいます。これなんかペルシャの方のものです。

――この辺の生地で財布とか作って欲しいな。作ったらかなり売れるって!俺みたいなのは絶対買うよ。財布とか小物もいいね。

保倉 これがさっき言った『安禄山の変』の時のものです。中国語で文字が入ってます。これが「吉」という字。これが「山」。唐の時代にこういう技術が伝わってきたんです。

――ネクタイなんかも作っているんですよね?

保倉 それは勝手に作っているんですけどね。ネクタイ生地じゃないから。これなんか私が使っているんですけどね。

――かっこいい。渋い!これさっきの名物裂ですよね?

保倉 そうですよ。ネクタイとしてはちょっと生地が厚ぼったいんですけどね、非常にかっこいいですよ。

――シャツ着てくれば良かった。絞めさせていただいてもいいですか?

保倉 どうぞ絞めてみてください。

――これ、何年ぐらい使っているんですか?

保倉 龍村さんと付き合い始めてだから、30年以内ですよ。全然流行はないですからね

――(ネクタイを合わせて)どう?ネクタイの方が渋過ぎかな。

保倉 若い人にはこっちの方が案外合うんですよ。これなんかはパリコレで誰かが使ってね。

――パリコレですか!?

保倉 女物はハンドバッグなんかにも良いですね。

――こんな柄の財布なんてあったら欲しいな。

保倉 財布なんてのも面白いですよね。名物裂の。織物もこういった派手なものもありますしね。龍とかは中国のお家芸ですからね。

――桐生でもやればいいのになぁ。

保倉 本当はやっているんですよ。私が持ってきてやらせているんです。

――だって、最近じゃ若手のデザイナーで有名な人たちが桐生の技術を使いに来るわけでしょ。だったら、桐生でそこそこのものを作れないのかな。

保倉 技術で言ったら桐生の方が西陣よりも高いですよ。こういうもので言ったら。だけど問題が一つ。認識が足らない。こういうものを知らないんですよ。残念ながら。
 ごく一般的な常識なんですけどね。名物裂を知らなかったり、理解できない。だから、そういうセンスが養われないので、技術じゃなくてセンスの問題なんですよ。センスがある人たちには本物を見ていただくと、すぐにその良さがわかっていただけるし。やっぱりセンスのない人はこういうものを見ても駄目なんですよ。

――興味が無い人は「へー」ぐらいで終わっちゃうかぁ。この柄の組み合わせやちょこちょこっと入った幾何学とか、この柄が集まっているところとかたまらない。

保倉 当然このぐらいのものは織物で織れる範囲の柄なんですよ。それを選ぶというのがセンスの問題でしょうね。 
 だって普通は「そんなものを織ったらここがこすれて駄目になる、こんなものは傷物だ」なんて言われてしまいます。さっきの柄なんてまず最初にそういう部分で難問にされちゃいますよね。こういうものの美しさをわかって頂けない。

――耐久性とかそっちが大事なんですね。これを名刺入れぐらいにしたらどうだろう。(小さい生地を手にとって)

保倉 いいですよ。その生地で名刺入れ作って売ってますもの。昔、これで本のカバーなんか作りましたね。これなんかは特別良いものですね。

――世代の融合ができていればもっと市場に出回ると思うんです。例えば、僕らの世代がかっこいいと思うようなデザイナーが作るパターンにこういう素晴らしい生地を使うとかが可能であればもっと出回っていくと思うんです。桐生の技術はもっとビジネスになると思うんだけどな。

保倉 名物裂というのはわりと何にでも合うんですよ。色調が強いんですよね。だから、大抵のものと調和してしまうんですよ。

――バッグでも服でもパターンがどんどん変わって、例えば、平面の裁断だったものが立体裁断になっている。で、僕ら若い世代はそういうものを好むようになっていて、勿論センスは問われると思うんですけど、もっと本物を取り入れて桐生から発信させていければなぁ。和装というとこれらはそうじゃないかもしれないけど、かっこいいですもん。絶対に。

保倉 織物としては一番格調の高いものですからね。こういうものをファッションの中に入れていければ一番良いんですけどね。

――取り入れ方ですよね。普通の、バッグ、財布、名刺入れじゃなくて、デザインの部分も現代のものとコラボレーションすることで、絶対勝てると思います。

保倉 割と、コンテンポラリーなものと合わせて生きるんですよ。

――映えるし、両方引き立たせますよね。最後に、この仕事をやっていた時、一番面白かったのはどんな時ですか?

保倉 やっぱり思わぬ発見をした時でしょうか。あんまり営業やビジネスとは関係のないところでの面白さってのがありましたね。やっぱり織物にするから、ちょっと調べてみようと、余計なことやって。
 織物なんかはね、写真でもわかるように汚れているでしょ?でもこれも今では分析ができます。特に奈良時代の正倉院のものは龍村平蔵が許されて、年に一回倉を開ける時に職人を連れて入って、色んなものを分析したんです。さっき、鴛鴦の柄が出てきましたよね。縫い合わせて包まれていたから、千数百年経っても元の色が残っていたんです。
 で、これは中国の手法でね、陰陽五行でモノを考える。色も五色で、その中に濃淡の混ぜ合わせがある。つまり、五色しかないんです。その五色が揃って残っていたんです。
 その時にはっきりわかったんですよ。だから、元の色が出せます。その5色を大正時代に正倉院御物の中で発見してしまって、これならもう迷うことはないといってどんどんどんどん平蔵は復元が進んだんです。

――そっか、結局五色しか使っていないという事がわかったのか。

保倉 まあ、織物というのはこういうものがありますから、是非名物裂というものを皆さん愛用なさってください。世界中に名物裂はあるんですね。今までは日本の範囲内でしか見ていなかったんですけど、この20年間で世界中のどこへでも行けるようになりましたしね。

吉田 私も珍しいもの拝見させてもらいました。

保倉 でね、こういうのは権力と結びついているから、その権力を見せ付けるものでもあるので、最高の頭脳を集めてやったわけです。だから、日本でも正倉院の初期のものが実績で最高のものだったと思います。それから後は衰退ですよね。おそらくそこにはあの時代の一番の秀才、天才が集まった。だから、センスが違うんですよ。織物っていうのは、かなり高い文化なんですよね。

御子柴孝晃(群馬大学工学部4年)
 前回の「新あすへの遺産」でも取材をさせて頂きましたが、職人は本当にかっこいいなと思いました。自分の人生をそれだけに費やし、だからこそ持っているその仕事へのプライドを感じました。勿論、それ以外の職業の方がそうじゃないというわけではありませんが、取材を通して職人さんが持つオーラのようなものを感じ取ることができました。
 今回、保倉さんという人に出会えたことをとても嬉しく感じています。仕事の話は勿論、趣味の話などから垣間みれる哲学的なことなど、本当にその全てが自分とは違う次元にあって、勉強させて頂きました。特に、この機会で始めて聞いた名物裂というもの価値を知ると、その復元をされていた保倉さんのお仕事には驚くばかりです。そして、デザイナーという職種を甘く見ていたんだなとつくづく反省しました。これからもいろいろなことを知って、自分自身の価値観を大切に育てていきたいと思います。
 また1つお金で買えないものが手に入ったと嬉しく思っています。保倉さん、吉田さんを始め、取材に関わって私を支えて下さった方々、本当にありがとうございました。是非、名物裂を愛用できるようになりたいと思います。 
◆第2回インタビュー取材データ◆
【日時】2003年7月2日(水曜日)19:30〜22:00
【場所】保倉氏宅
【インタビュアー】吉田邦雄、御子柴孝晃
         後藤美希、小保方貴之
【撮影等】小保方貴之

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はじめに
桐生お召しから龍村織物専属デザイナーへ
デザインとビジネスの関係
戦前と戦後のお召しとその背景
お召し・紋織物の文化と龍村織物での仕事
生活文化としての織物
避けられない産業の衰退
戦中、戦後の織物業界
桐生お召しでの仕事
龍村織物での仕事
“柄”を生み出す演奏家
桐生で唯一の絹専門の染め屋
今もなお現役で筆を握る図案作家
2人の整経屋からみた現実と未来
高速化に対応して世界屈指の職人へ
桐生織物の職人たち
機械直しから紗織の名人へ
全盛期を支えたお召し織物の稼ぎ頭
経糸と共に繋いだ夫婦の絆
商品の価値を決める最終段階
桐生の織物産業を陰で支える
あの光景を再び。桐生で八丁撚糸機を動かした立役者
シンポジウム
職人が語る桐生お召しの系譜

ちょっと一息/コラム
お召しチャート
編集後記

 

龍村織物では古代織の復元を行っていた。書籍の中からその元柄を探している。

書籍の中にある柄を実際に見られるのは貴重な体験である。

龍村氏の柄の復元も手掛けていた保倉さん。

これはその紋紙。花びらの輪郭などが特徴的に描かれているのが分かる。

帯を手にした学生も、立体感のある柄に驚いていた。

次々と出てくる古典的な珍しい柄に取材陣も驚いてばかり。

吉田さんも保倉さんの龍村織物でのお仕事を改めて見る機会はこれまでにもなかったという。

ネクタイを手にする学生達。古典的な図柄は彼等にとっても新鮮なものに写る。

ネクタイと同じ柄の帯。色あせないクラシックな柄だからこそ、様々な用途に耐えうるのかもしれない。

目の前の美しい柄に様々な思いを抱く学生達。

こちらは保倉さんの奥さんがバックに仕立てたもの。不思議とどのような小物に使ってもおかしくない。