保倉 お召しのプロセスを単に追うだけなら、それは教科書に載っている通りなんです。今はコンピュータになっていますけどね。
最大の特徴は、先ほども話した増し絵の機械を使ったということです。それによって初めてこれだけの技術が桐生で自由になったわけですから。そうでなければ、本当に特別な人が名人技で作るしかなかったということになります。
尚且つ古いものの話を大切に残すっていうと、一概に大昔の話と結び付いちゃって大事なところを落としちゃうんですね。桐生に於いて大切なのは、力織機なんです。力織機の技術というのをしっかりと認めて残すべきだと思いますね。
――この紗は森正織物で作られたものですか?
保倉 そうですね。紗に紋織りを入れたものです。森正さんで取っておいたものを私が頂きました。実はね、紋織りお召しも正しくは二つに分けなければいけないんです。それは戦争前のものと戦争後のものです。はっきり違うんですね。材料の規格が違ったんです。戦前の糸は14中のものでしたが戦後は21中のものでした。
――その違う部分は、経糸のことですか?
保倉 経糸もそうですし、緯糸もそれに合わせて変化するものですね。“中”というのはギリシャ文字でΦと言うんです。具体的には糸の太さが違うんです。
(以下、織物のサンプルを手にしたり、指し示しながら話が続く)
――これらは貴重な資料ですね。
保倉 どなたかに預けてもいいのですが、そのまま無くなっちゃうでしょうね。大正時代は結構,こんな派手な柄があったんですね。大正ロマンなんて言ってね、一時期は良かったですね。センスも良いですし。…これは明らかに戦後のものです。大正のものと比べても違うでしょ?
――これらはほとんど桐生で織られたものですか?
保倉 全部桐生です。ここにあるのは全部、森正さんで織られたものですね。
…これも戦後のものですね。…これが紋紗というものですね。
…こっちがわがお召しですね。
――サンプルを見るだけでわかるものですか?
保倉 だいたいわかりますね。
例えばこれは、模様は古典的なものですけど戦後のものですね。こういうものに明治続きの伝統でも入っていればたいしたものですけど、桐生ではそういうものを省みる人は誰もいませんでしたね。
これは技術的にはかなり面倒なものなんですけども。この下の江戸小紋を紋織りで表現したお召しなどは、ちょっと離れ技なわけですよ。なぜならどこかにくせが出てしまうものなんです。けど、それをくせが出ないようにするわけです。デザインとは全然別問題ですけれども技術的には難しいのです。
――各織物工場ではこのように歴代の織物を保存していたのですか?
保倉 それが取っておかないんですよ。それは意識の違いなんですね。実際、龍村さん(後述)のところでは取ってありますから。こういうサンプルなどもちゃんと引き取ってくれる人がいなくて困っているんですよ。
――こうやって見ていると、もっと広幅があってもいいなと思いますね。
保倉 どういうわけなのか日本の織物文化はみんな小幅ですね。ですけど、中国や中近東のイランのほうなんかはみんな広幅だったりします。また、インカ文明なども広幅ですね。これは国によってはっきり分かれめが出るものです。背縫いのある着物というのは決して日本独特の文化ではないですからね。ネパールの人達なんかはみんな今でも着ていますしね。
(あるサンプルを指しながら)
この古代の錦は経糸だけです。緯糸ももちろんありますが、表面に出てこないよう、三重織りの経糸がうまく隠しているんです。今の技術なら簡単にできますけどね。こういうものはたくさん身の回りにもありますが、ただ一般に緯糸でやったほうが簡単なのに、先に経糸でそれをやっているというのは謎ですね。 |