桐生お召しに関わる職人たち
桐生お召しと職人の系譜
桐生市老人クラブ連合会/NPO法人桐生地域情報ネットワーク

――前回のインタビュー原稿を読んでとっても気になったんですけど、桐生に大物の社長がいなくなったって言ってましたよね?

佐藤 あ〜、いなくなった。淋しい。昔は俺らが現場で仕事してるとね、機屋の親父がなんやかんやと話しかけてきたもんだったよ。そうすると仕事の手を止めなくちゃならないがね。それでこっちが黙っちゃうと、社長は周りを掃除なんかしながらずっと一回りして、また話かけてくるんだよ。職人上がりの社長っていうのはそういうもんだったね。

――今の社長は、割と職人さんとの関わりは少ないんですか?

佐藤 そうだね。今の社長はあんまり喋らないよ。営業上がりの人が多いから「あ、ご苦労さん」で済ませちゃう。昔は側へ来ては「どうだいオートバイは?」とか「どうだい野球は?」なんて言って回ってたよ。

――仕事以外のことを聞かれるんですか?

佐藤 そう、仕事以外のことばっかり。「あれ?今何が言いたかったんだろう」ってよく思ったさ。けど、そうやって交流をはかってたんだろうな。本当にそういう社長が少なくなっちゃった。まぁ今は経営のことばかり考えているってことなんかねえ。「この人はちょっと遅刻が多いからクビにして人件費削減」とかな(笑)。
 日産の社長なんか見ると、不景気だからやっぱり一番に人件費を抑えなきゃって、高給取りからぼんぼん落としていったろ?それである程度地盤作ったら、今度はエリートを1500人採用して、業績をどんどん伸ばしていった。おかげで一時400円ぐらいまで落ちた株が1200〜1300円ぐらいまでになれたんだろうな。

――でも織物みたいに、昔ながらの経験が生きる仕事だと、社長がお金勘定ばかりに走っちゃうっていうのも、どうかなって思いますけどね。

佐藤 今となれば、あの頃の社長っていうのは、そうやって自分のところの人間を育てていったんかもしれないよね。時代の流れっていうのか、そんなところ一つ取ってもだいぶ変わりましたよ。

中村愛子(群馬大学教育学部1年)
 「何事にも全力投球!!」これが,佐藤さんへのインタビューを終えての,私の率直な佐藤さんへの印象でした。
 若い頃は野球でプロを志ざしたこともあったそうで、今では織機の研究を重ね、外国に負けない速さの織機を生み出すほどすばらしい職人さんとなっています。趣味のバイクや、また、最近熱心に取り組んでいるという大きな瓢箪作りの話から職人としての姿が伺ました。
 今回のインタビューのためにも、分かりやすく説明するために黒板まで用意して下さったり、ビデオを用いたりと、色んな工夫をして下さっていたことにはすごく驚いたと同時に感謝しました。話にも佐藤さん独特のリズムがあり、聞いていても楽しくおもしろくためになりました。
 中でも、現代人の身体の変化の一因が下着の素材の変化にあるという話はとても印象的でした。佐藤さんの織物への情熱も感じられたし、それがまた私の織物への興味・関心を持つことへも繋がりました。それほどに佐藤さんは、とてもスケールの大きな方でした。
 
◆第2回インタビュー取材データ◆
【日時】2003年11月21日(金曜日)17:30〜19:30
【場所】佐藤氏宅
【インタビュアー】御子柴孝晃、後藤美希、中村愛子
         小保方貴之
【撮影等】小保方貴之

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はじめに
桐生お召しから龍村織物専属デザイナーへ
“柄”を生み出す演奏家
桐生で唯一の絹専門の染め屋
今もなお現役で筆を握る図案作家
2人の整経屋からみた現実と未来
高速化に対応して世界屈指の職人へ
織物の基本
機械の高速化により変化
機拵えの仕事
織機について〜ビデオを見ながら
職人の趣味
経営者と職人
桐生織物の職人たち
機械直しから紗織の名人へ
全盛期を支えたお召し織物の稼ぎ頭
経糸と共に繋いだ夫婦の絆
商品の価値を決める最終段階
桐生の織物産業を陰で支える
あの光景を再び。桐生で八丁撚糸機を動かした立役者
シンポジウム
職人が語る桐生お召しの系譜

ちょっと一息/コラム
お召しチャート
編集後記

 

最後は佐藤さんの愛犬も登場し、楽しい時間を過ごさせて頂いた。