桐生お召しに関わる職人たち
桐生お召しと職人の系譜
桐生市老人クラブ連合会/NPO法人桐生地域情報ネットワーク

 現在、桐生市は“うどんの街”というPRを展開中である。その甲斐あってか、群馬の三大うどんとして「館林うどん」「水沢うどん」と並んで「桐生うどん」も有名になりつつある状況だ。
 「桐生うどん」の特徴は、もっちりした食感と噛んでプチンと弾けるコシ、そしてツルツルとした喉越しにある。このPRは、市内の飲食店組合と行政とが協力して行っているが、そもそもなぜ桐生にはこれほどのうどん屋さんがあるのだろうなんて疑問が沸いてくる。
 そうは言ってもこのご時世、実は過去5年間に閉店したうどん屋さんは約20軒もある。ということは年間で4軒、つまり3ヶ月に一軒が閉店しているのである。概算だが、現在のうどん屋さんは約100軒前後と言われおり、桐生市の人口11万3千人(平成15年4月現在)であるから、人口1130人に対して1軒のうどん屋さんがあるという計算になる。ちなみに讃岐うどんで有名な香川県では、人口1440人に対して1軒である。
 終戦後、『山本』や『藤屋』などのうどん屋さんで働いていた方が、それぞれ独立して市内各地に店舗を構えるようになったという。現在でも、本町界隈に、『第一山本』や『第三山本』、『藤屋本店』があるのは当時の名残といっても良いだろう。
 そして、桐生市で織物が盛んであった時代、大きな機屋の近くには必ずと言って良いほどうどん屋さんがあったとのこと。そう、機屋の職工の食を支えるのに、市内に点在するうどん屋さんが一役買っていたのである。
 また、生麺の販売を行うのも、桐生のうどん屋さんの特徴だとか。機屋で働く女性が、仕事帰りに買って帰れるようにと始めたようである。家事労働軽減にも一役かっていたということになる。
 機屋が深夜まで稼動している時には、夜に出前40人前などの注文も入ったという。ただし、一番安い「かけうどん」がメインだったということ。街中にあるいくつものうどん屋さんもまた、桐生の織物を陰で支えた存在なのかもしれない。/(貴)

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はじめに
桐生お召しから龍村織物専属デザイナーへ
“柄”を生み出す演奏家
桐生で唯一の絹専門の染め屋
今もなお現役で筆を握る図案作家
2人の整経屋からみた現実と未来
高速化に対応して世界屈指の職人へ
桐生織物の職人たち
機械直しから紗織の名人へ
全盛期を支えたお召し織物の稼ぎ頭
経糸と共に繋いだ夫婦の絆
商品の価値を決める最終段階
桐生の織物産業を陰で支える
あの光景を再び。桐生で八丁撚糸機を動かした立役者
シンポジウム
職人が語る桐生お召しの系譜

ちょっと一息/コラム
“世代間交流”とは何か?
“織物の街”桐生、“うどんの街”桐生
“近代遺産”の街−桐生、その現実
陰で支えた二つの内助の功
編集後記