織物文化を語る上で忘れられないのが、のこぎり屋根の織物工場である。現在も、桐生市内に約260棟を残すといわれている。
これまでに、これらのこぎり屋根の建物の利活用の方法が話し合われてきた。また、全国的な研究組織も作られ、全国ののこぎり屋根の建物が注目されるようになった。桐生市ものこぎり屋根の建物を紹介するようになり、あの建物を桐生の顔と考える動きも出てきた。街の文化としてあれらのこぎり屋根の建物は着実に市民に認識されるに至り、メディアでもその動きが取り上げられるようになった。「街そのものが近代博物館桐生」なんてキャッチコピーさえ出てきたほどである。
しかし、それはその建物をモノとして見た視点ではないだろうか?そんなことを感じていた時、のこぎり屋根に魅せられた写真家を取材する機会に恵まれた。
――写真家はあるのこぎり屋根に魅せられ、3回通ってどうにか写真を撮らせてもらった。後日、そのお礼として撮影した写真をオーナーへプレゼントするために訪れた。だが、オーナーはなかなか写真を受け取らない。そして「そんな写真を見ても辛い思いを思い出すだけだ。持って帰ってくれ」と背中を向けてしまう。その時のことを「もしかしたら他人の生活に土足で上がり込んでしまったのかもしれない」と写真家は私に話してくれた――
残っているものをイイと愛でることは簡単である。しかし、そこを生活の舞台にしていた彼らにとっては、目の前に佇むこれらの建物は悪しき記憶として結果的に残ってしまったものかもしれない。産廃処理は社会問題になり、その解決の手段は経費として跳ね返ってきた。壊したいけど壊せないという現実も存在する。文化財としてこれらの建物を桐生の財産にするなら、行政や民間はそのことを踏まえるべきではないだろうか。260棟ののこぎり屋根には260通りの思いがある。まず、オーナーの思いを理解することが文化を守ることに繋がるのではないだろうか。/(貴) |