――じゃあ、兵庫県から帰ってきてから仕事を始めたんですか?
藤井 すぐって訳じゃないけどね。8月の15日が終戦だろ。俺が帰ってきたのがここに書いてあるんだけど……19日には帰ってきたんだよ。
それでね、知り合いから「絵が描けるだろ?」って言われてね。正月に向けて挿絵羽子板作りを数ヶ月しているときに、大日本機械という元自転車の会社が、中島飛行機にいた時に色々と経験を積んでいるからってことで「是非、来て欲しい」と言ってくれてね。もともとは東京の会社なんだけど、広沢の方に疎開してきて、機関銃の弾を詰めるような仕事をやっていたらしいんだよね。んで、終戦になったんでその仕事もなくなって、それで昔やっていた自転車製造に戻ることにしたけれど、東京は空襲でほとんど焼けちゃったから本社に資料が何もなくてね。それでリームをどうにかして作れないかって相談されたん。
――タイヤが付いていて、スポークが刺さっている輪っかですよね。
藤井 そうそう。で、色々調べた結果、帯鋼っていうテープ状の鉄板があるん。で、それを数個のローラーの間を通すことでタイヤの縁が掛かるように整形して、最後は螺旋状に巻き取り規定の円形に切断して溶接して作ったんですよ。
――それは凄いな。
藤井 で、それを作る機械の図面もできて、これから作ろうとしているとこに親父から「うちに戻ってもらえないか」って相談があったけど、会社からは「機械ができたから試運転して可動が順調になるまでいてくれ」って言われて。じゃあ、ってんで3年ぐらいは居たのかな。
うちの方はちょうど妹がいたから俺が帰るまで親父を手伝っててくれって頼んで、そのうち戻って仕事を始めたわけさ。 |