藤井 これが八丁撚糸機の釣瓶糸ですよ。
――これ新品ですね、太縄さんのところに行った時に話していましたね。
藤井 釣瓶は木綿でできてるんだけど、戦争の始まる寸前は統制品になっちゃったために、シャツなんかも全部配給になっちゃったわけ。釣瓶は消耗品だから機械が動かなくなっちゃって、急きょ組合ができたんだよね。
それで、組合ができたから桐生にいくつの業者がいるってことも全部わかるわけ。撚りをやってる本人が書類を書いて県に申請するんだから。それで、釣瓶がこれだけ欲しいんだって申告を出すの。それを取りまとめて出すのはこの撚糸組合だよね。
(1冊の名簿を取り出し)
――すごい。古い。
藤井 これは当時の組合員の申告書の綴りだよね。
(桐生織物記念館のパンフレット、写真を見ながら)
藤井 桐生織物記念館の話をするけれど、行ったら八丁撚糸機や付属の管巻機は分解され全部品物の台ですよ。何か飾る時の脚になっちゃてる。ほんと切ない。入ったそばに管巻きがあるんですよ。上は糸付けたりするんで平らじゃないものだから、その上に板おいて、肝心な部分隠しちゃってるの。
――ほんとだ。脚になってる。肝心なところが見えないわけですね。
藤井 だから、こうやってテーブルの下から覗くようにして見なくちゃいけない。それで、そこにいる事務所の人は知らないって言うんだもん。ただあるだけだからって。ここに細長いのが2つあるがね、これは八丁の左右にある糸を巻いていた部分。その上にベニヤか何か置いて、品物を並べてるわけですよ。その奥の大きい丸いのは八丁の輪っかの部分、それがテーブルになってる。
――あ〜〜、なってる、なってる。丸テーブルみたいな。
藤井 そうそうそう。
――え〜良いのか?それで。織物会館がそんなことやっちゃて。
藤井 そうなんだよ。それで私が「お召しの資料ないかね?」って聞いてみたんさ。そしたら「今無いんですよね。もしあれだったら、森秀さん行ってみて下さい」って言うんだもん。すべて他人まかせ。
――織物会館が民間を頼りにしてるのかぁ。は〜、何かへこむな。
藤井 悪口になっちゃうけどね。
――いや、そういうのは載せないと。例えば、「うち昔撚り屋だったんですよ」って人が喫茶店を始めたんでテーブルにしたというのなら分かりますけどね。今度、桐生織物会館行ってこよう。
藤井 向こうもそういう状況は知ってるんだけど、出来ないんだよね。
――僕なんかがすごく思うのは、織物記念館に直接言っても変わらないと思う。もっと上に言わないと。じゃあ、あれだ。ここをNPOが運営すればいいんだ(笑)。
藤井 今回だってNPOが立ち上がんなかったらこんな事はできないよ。
――NPOが運営すれば配慮できるし。だから、資料を提供してくれる人の意見とそれを見に来る人の意見とその両方を反映して運営。だから、一ヶ月ごとに行くと楽しみ方が変われる。そんな資料館てすばらしいですよね。
(一同笑)
藤井 こういうのは回ってきてるんだよね。「織物資料作品募集」。なにか資料があったら貸してくださいって。昔は書類一生懸命作ってやってたんだけど。
――こっちはあれです。「ありがとうございました」っていうお礼状ですよ。
藤井 だからね、色々な資料があるってことを織物組合の織物資料収集企画委員会で調べてあるんだよ。でも、途中で尻切れトンボ。
――こういうだらしのないやり方ではもったいないですよね。
藤井 だから家にはこういうものがありますからって必要なら寄付しますよって返事するがね。そうすると、さっきみたいな礼状がくるんだよ。それで終わりだよ。そのまんま。実行はしない。
(ある写真を取り出して)
藤井 これは高橋さんだと思うんだけどね。八丁撚糸機の伝統工芸士になった2人目の人。平成14年の2月13日に93歳で亡くなってるね。
――じゃあ、平成14年以降は伝統工芸士はいないんですか?
藤井 もういない。伝統工芸士っていうのは、現在も仕事をしてて後継者のために色々指導しているとかそういうの条件が必要なんだよ。でも、八丁撚糸の人って生活できないがね。織らないんだから、自然と無くなっちゃうわけだろ。
――そっか。そうなると八丁撚糸の伝統工芸士は今後も出ないんですね。
藤井 森秀さんで細々とやっててくれるから、まだ良いなとは思うけどね。
――必要な技術なら残りますけど、昔あった技術や資ソを残せるかどうかは今何をするかって問題ですもんね。
藤井 織物会館みたいなところが道具をちゃんと保存してくれないのは、それを商売していた人間にとってはほんとに涙がでるような思いだよね。 |