桐生お召しに関わる職人たち
桐生お召しと職人の系譜
桐生市老人クラブ連合会/NPO法人桐生地域情報ネットワーク

(モーター設置の許可証を見ながら)

藤井 昔は八丁を水車で回していたんだよね。それで、電気に切り替える時に、新宿通りから電気を引くのに電柱を6本くらい立てなくちゃならなくってね。ここ、周りは全部田んぼでその中の一軒家だったんだよね。そんときのモーターを設置する時に県から許可もらわないといけなくてこういう許可をもらったんだよね。

――大正15年、2月22日って書いてあります。

藤井 それで「どうしてこんなに用水路があって水車があるんにモーター入れるんだ」って親父が言われたらしんだけど、水車だと回転にムラがあってるから製品のできが違うって言って許可もらったんだよね。だから、家が随分早くモーターを入れた。

(当時の家の図面を見ながら)

藤井 これね、うちで工場を拡張する時の建築許可証っていうんかな。申請するときの書類。ここに「八丁」って書いてあるだろ。

――昭和12年ってありますね。んで撚糸機が8台ありますね。この「2台」って書いてあるのは何ですか?

藤井 それは、準備機だ。例えば管巻とか。

(図面を広げる)

――撚糸工場とか住宅とかある。

藤井 それで、ここに堀があるでしょ。水車って書いてあるだろ?

――このあたりは全部撚糸工場だったんですよね。

藤井 そうですよ。この川の淵はみんな撚糸屋ばっかり。みんな水車回して。
 この赤いところが増築部分で、新しく八丁を2台入れたの。

――工場の方は全部土間なんですか?

藤井 そう、全部土間。モーター設置の時の許可書にも8台って書いてあるでしょ?それとも一致してるわけね。この資料を見るのはみなさんが初めてですよ。


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はじめに
桐生お召しから龍村織物専属デザイナーへ
“柄”を生み出す演奏家
桐生で唯一の絹専門の染め屋
今もなお現役で筆を握る図案作家
2人の整経屋からみた現実と未来
高速化に対応して世界屈指の職人へ
桐生織物の職人たち
機械直しから紗織の名人へ
全盛期を支えたお召し織物の稼ぎ頭
経糸と共に繋いだ夫婦の絆
商品の価値を決める最終段階
桐生の織物産業を陰で支える
あの光景を再び。桐生で八丁撚糸機を動かした立役者
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八丁撚糸機を動かす
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お召しチャート
編集後記

 

写真は工場を増築する際の図面。

当時の撚り屋の状況を知る上でも貴重な資料がいくつもあった。