――織って駄目なところだけ切って、それ以外の部分を使うことは出来なかったんですか?
吉田 それを考えて商売にした人がいたんですよ。B反と言いまして、うまく仕立てると30センチや50センチを駄目にしても、ちゃんとした着物になるんです。そのかわり柄合わせなんかには、ちょっと制限が出てきますけれど。
――縞柄とかもあったんですか?縞だとそういう柄合わせがない分うまくいきそうだなと、ちょっと思ったんですが。
吉田 私の知っている範囲では、縞は男物しかやりませんでしたね。
岩倉 森秀では縞は男の着物だけだったね。女の人のものはみんな柄でした。
――縞柄を織られたことはありますか?
大阿久 私は織った記憶はありません。だいたい私たちは柄物でした。
吉田 縞と言っても、ほとんど無地に近い男物でした。非常に高雅なお召しで「あいみじん」と名付け、これは年間絶やすことなく生産しておきましたね。
――では、男物を織る人は決まっていたんですか?
大阿久 いいえ、特に決まってはなかったですね。
吉田 少し話が戻りますが、初めのころは1人1台の織機だったんですけど、だんだんと機織りさんが少なくなって4台ぐらい受け持つようになったんですよ。
――それは織機4台を1人でってことですか?
吉田 ええ、織機4台を受け持ってましたね。
――その時に不便だったことはないんですか?
吉田 それは大変でしたよ。色々と工夫もしまして、糸が切れたり無くなったりしたら、織機が自動に止まるような装置をつけてやっていましたね。ずっと1台の織機と睨めっこしているわけにはいかなくなりましたから。
岩倉 忙しかったですよ。どれも長くは目を離せないから、走っているような感じです。
小平 4台持つというのは全部同じ条件のものを持つんじゃなくて、片方が難しいんなら片方は簡単なものというように、1人でまかなえるものを3台4台と持っていたんですね。例えば縫い取りばかりの織機を4台持つことはできませんから。
――機械で織られていたわけですが、柄によっては今でも手織の機械を動かせそうですか?
岩倉 手機ですか。少しは教わらないと無理でしょうねぇ。
小平 まぁ織ることはできるでしょうけど、やっぱり動かしながら覚えていくんですよ。間の張り具合も筬のぶつけ具合も、どうやったら一番織り易いかっていうのは、実際にやってみないとね。そういうもんでしょう?
岩倉 そうですね。張り具合やぶつけ具合はちょっとやってみないとわからないですよね。機械と手とでは随分と違いますから。手機でも織ってみたいなとは思いますよ。 |