――当時の給与形態っていうのは、どういうものだったんですか?
吉田 男子工員はだいたい月給なんですよ。日給というのもあったかな。
小平 日給月給だったんだよ。
吉田 女の人は1反がいくらという織り高でしたね。難しい織物だとグンと高くなるし、比較的易しい織物は標準という具合に、ものによって違いがありました。これはどこの機屋も同じ方式でやっていたようです。
岩倉 おかげさまで私なんかは、良い仕事をやらせてもらっていたから、あの時分でも2、3万は多く頂いていたみたい。
吉田 やっぱり難しい仕事がこなせれば、その分の報酬があるってことですよ。執行部の者も差別っていうんじゃなくて、あの人ならこれを織れる、この人じゃ織れないと判断はしていましたし。
小平 岩倉さんは、かなり取っていたね。男の人より稼いじゃうんだから。森秀一の機織りでしたよ。
岩倉 当時はね、競争心みたいなものがありました。私には姉がいたんですけど、その姉に負けたくないっていう思いが、どうしても出てきましてね(笑)。でもやっぱり勝てませんでした。私が1番になったと言っても、それは姉がいなくなってからの話ですよ。
――その頃は月に何反ぐらい織っていたものなんですか?
岩倉 どれくらいでしょうねぇ。ものによって1日で織れるものと織れないものがありましたからね。
――長いものだと3日とか4日かかるものなんですか?
岩倉 そんなにはかからないですね。だいたい1日半から2日が標準だったかな。 |