――森秀さんのところの機織りさんは、この辺りに住んでいる方が多かったんでしょうか?
吉田 そうだねぇ、だいたい桐生市街地の人だったかな。ひと頃は川内の方も多くて送迎のバスなんか出したこともありましたね。
岩倉 送迎を出したから川内からも来たんでしょうね。いっぱい乗っていたもんね。私なんかは自転車で通っていたんですよ。
――お召しを織った経験があるのは、一番若い人で何歳ぐらいなんですか?
岩倉 昭和16、7年生まれで森秀に入った人が最後だったかな。それ以降の人は機織りになれないうちに辞めちゃってね。機織りになるっていうのが難しくて、ついて来られなくなっちゃったのかもしれない。後はよその機屋さんから入ってきた人でしたよね。
吉田 よそから入ってきた人には、こっちも色々な面で苦労したよ。
岩倉 割と綺麗に織れなかったですものね。
吉田 うちで働いていた人っていうのは、結構よそに引っ張られていきますよ。例えば結婚して子供がいるから近場の機屋に移ったなんていう人も、どこへ行ってもトップクラスです。
――織り上がり、シボ取り終わって反物になった時に、こんなに良く仕上がりましたと、機織りさんのところに見せにきてくれたりするんですか?
岩倉 綺麗にできるのが当たり前ですから、そういうことはないですね。逆に駄目だった時は呼ばれたりしました。さっき言ったように、ほぐした時の織りつけが悪いと、織り段ができたりしわがよったりするんです。そういうものができちゃうと、座敷に呼ばれてみんなの前で、それを広げて見せられるんですよ。
小平 怒られた方がまだ良いんだよな。黙って出されて、みんなにそれを見られるっていうのは、どうにも居心地が悪い(笑)。
岩倉 でもそうやって呼ばれるなんていうのは、何年かに一回のことでしたけどね。新しく入った機織りさんなんかは、一度でもそんなことがあると嫌になって辞めちゃいますし。まあ長年続けてやっている人は、文句言われても仕方ないって思える人ですよ。
吉田 よそから来た機織りさんだと、どうしても機械の具合や雰囲気だとかで、時たまトラブルになることがありましたけど、うちの会社で最初から覚えた人っていうのは、工場の気風っていうのかな、会社の癖みたいなものをのみ込んでいるから、あまり問題は起きませんでしたね。
岩倉 こうやれば文句を言われるっていうのを知っていましたからね。
――織ったものがどのくらい上手にできたかというのは、ご自分でも分かるものなんですか?
岩倉 絹を降ろした時に自分でよく見るんですよ。そうすれば傷があったりすると気づくんで、長年やっている人だと、細い針でもって縫い取りの目を拾い、ある程度までは直せるんです。だけど新しく始めた人には、それができないんですよね。
吉田 機を織るっていうことはね、ある意味原始的な仕事だとは思います。現今の作業場は超機械化だったり、今や電子化までされていますけど、こと織物に関してはバラバラの経糸と緯糸を組み合わせて、ひとつの完全なものに織り上げていくということそのものは、今も昔も変わらないわけですよ。
変わらないからこそ、同じことだけをしていれば良いというものではなく、それぞれの機織りの経験だったり、新しい技術をどううまく使っていくかで、格段の差が出てくるんでしょうね。 |