――現在は何人ぐらいでお仕事なさっているのですか?
橋本 今はもう1人で仕事してる。昔は、もっと大勢いたんだよ。一つ一つの工程で分担があってね、それぞれに人が居たんだよ。
――後継者の方はいらっしゃいますか?
橋本 いないんだよね。
石川 どこもみんな後継者は問題だよ。
――若い方はこの織物の製造自体にあまり携わってないのかな。
橋本 そうだね。特に織物関係ではあまり聞かないね。体商売だから若い人はほとんど入らないし、また入ってもそれだけの報酬を出せない。
石川 私の話になって悪いけど、今うちに関係ある人は私が風邪引いたってだけで大騒ぎですよ。困ったことに描く人がいないんですもん。だからちょっと手術って入院する時は、いつからいつまでって全部届け出して、その間は先方はじっと我慢だよ。あとはシーズンオフの時に病気を治すとか、後継者がいないから、そういう風にするしかないね。
けど仕事自体もなくなってきている。だからもう今の仕事が終わるとうちも駄目になる、先方も駄目になる。そういう時代になっちゃった。みんなサラリーマンが良いんですよ。
――橋本さんは何歳ぐらいからこのお仕事を始めたのですか?
橋本 私は桐工出てすぐだから、私が18歳で入って20歳の時に親父が死んだんだよな。
石川 じゃあ随分苦労した?
橋本 苦労かねぇ。今になるともう色々。でも、結局小学校からずっと親の仕事を見てきたからね。やっぱり親がやってるの見てると、大体どうやってるやるのか分かるんだよね。
――失礼ですが今おいくつでいらっしゃいますか?
橋本 昭和の一桁。昭和9年の3月だからもう時がくれば満70歳。
――ええ!もっとお若いかと思いましたよ。50歳ぐらいかと。
橋本 何かおごらなくちゃならないかな。お昼前に来ればよかったな。何かごちそうしたのに(笑)。
石川 丁度その頃は桐生のお召しのピークだった?
橋本 ええ、昭和20年。戦後から36、7年ぐらいかね。
石川 あの頃は親の仕事を継ぐのが自然だったよな。
橋本 桐生の全部が全盛期の頃だね。
その当時はね、忙しくて第1・第3日曜日しか休めなかった。土曜日になると機屋さんから、休み明けの月曜までに仕上げてくれっていう仕事がくるんだよ。だから土曜日は残業だったよ。日曜を休むためにね(笑)。
――手についてるのは染料ですか?
橋本 あなた方が来る前に使ったの。
石川 勲章ですよ。これこそが勲章だよ。
橋本 もう青だの赤だのいっぱいですよ。手袋すると良いってよく言われるけど、扱うのが細い糸ばっかりだから、素手でしか分からない微妙な感覚が必要だしね。
石川 10代・20代っていう若い時は抵抗あったでしょ?
橋本 あ〜、ありましたよ。
夜遊びなんか行く時は、一生懸命色を抜いたもんだよ。落とすための薬品があるんだけどね。それが70℃以上の高温じゃないと効果が出ないもんだから、その中でちゃぷちゃぷ真剣に落としたんですよ。
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