――1回に手で染色できる量は少ないですか?機械だと多いですけど・・・
橋本 束1つぐらい。もっと大きいものだとそうやって機械にかけてやる。
洋服の生地とか広幅になると50キロとか60キロ、100キロっていう単位で染めるでしょ。だからものすごく効率が良い。でもうちの場合は、それこそ1つだけ精練してっていう注文も受けますからね。手で染めないと間にあわない部分がいっぱいあるし本当に大変ですけど、逆に小回りを効かせたい時には手染めの方がやり易いからね。
――手作業でしたら微妙な調整とかもできますもんね。
橋本 そうそう。ある程度決めた分量を入れてざっと1時間の工程が終わってから色を合わせる。細やかな色の変化を最初から見ながらできるから、途中で色の出が違うなってなれば、そこで染料の調整もできるわけ。色が合わなければ、全然商売にならないものだからね。昔からこういう小口はサービスとしてやってきたよ。
――サービスでやっていた事が残っちゃったとういことかぁ。絹専門の染色屋さんは全国的にみるとどのくらいいらっしゃるんですか?
橋本 全国的の規模はちょっと分からないけど、桐生市でいえば20軒ぐらい染色屋があるけど、その中で絹専門は私だけしかやってないから。
――……小口っていうのは細いってこと??
石川 いやいや(笑)、そうじゃなくて仕事の量が少ないってこと。2束・3束とかだけっていう仕事もある。だんだんそういう仕事になってきちゃったから業者がどんどん辞めてっちゃう。
橋本 手で染めていると他の仕事ができなくなるんだよ。それだけ神経が集中してるからね。機械の場合は、3台とか4台を自動的に動かせるからいいけど。
――橋本さんは、ご自分で染色なさったもので作られた製品を着たりするんですか?
橋本 う〜ん、見せてはもらうねぇ。自分では着ないね。昔の機屋さんっていうのはね、自分のところで出来た製品をなかなか見せたがらなかったんだよ。
石川 絶対秘密主義。
橋本 やはり自分のとこでできた製品を他で真似されたくないからね。
だけど今残ってる機屋さんはちゃんと見せてくれるんですよ。「大変な注文をしてしまいましたが、それがこういう製品に仕上がりましたよ」って、必ず持ってきてくれるんです。そうするとやっぱり張り合いがあるでしょ。よけい責任も感じますしね。
でも、当時は見せないのが普通の機屋さんですよ。どんな製品になったかなんて分からない。お互いに探り合いでね、トラブルとかもありましたよ。
石川 桐生の織物が一時大変になったのも、機屋さん同士の秘密主義が、あまりにも多過ぎたからのような気がするね。
橋本 良いものができるようになるとすぐ真似して、ちょっと値段を安くすればそれが売れちゃうわけですよ。もっと違う意味でお互いに技術を持ち寄れれば良かったのにね。
石川 絹と絹じゃない糸を混ぜて、それで織って安く売ったりね。
橋本 いろいろな機屋さんですごい葛藤があったんですよ。
石川 私は29歳で独立したんだけど、吊るし上げられたことがあるもんね。
桐生で展示会があって入選して、今度同じようなものを全国大会に出したらまた入選して。確かに素材は同じだったけれど、絵は違うものだったんだよ。なのに「なぜお前はそれを全国大会に出したんだ」って、えらく怒られたことがある。
要するに機屋は下絵を独占しようと思っていたんだよね。でも私が他に描かないことによって、私への保証があるかと言ったら、その保証だってどこにもありゃあしない。
橋本 だから問屋さんから始まって秘密主義の繋がりがあるんだよね。
ある問屋さんから、この柄を織れって特別注文を受けたとするでしょう。とめ柄って言うんだけど、例えばその柄を織ったはいいが結構余っちゃったよという時は、売れる物なんだから他の問屋さんに出したくなるじゃない。でもそれは絶対しちゃいけないこと。同じ商品が並んだときに、片方は他から買ったっていうかもしれない。人の口に戸は立てられないから、すぐに分かっちゃうんだよ。他には絶対売っちゃいけないの。
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