桐生お召しに関わる職人たち
桐生お召しと職人の系譜
桐生市老人クラブ連合会/NPO法人桐生地域情報ネットワーク

――じゃぁ2日間の日曜日っていうのは遊びまくってました?(笑)

橋本 まあ、僕は好きな野球をやったりで一生懸命だったね。野球ができなくなった後もソフトボールをやりだして、それで石川さんとは地区が別だったからよく戦ったんだよ。

石川 橋本さんのチームも、うちのチームもAクラスで、よくやったよね。常に優勝争ったもん。

橋本 群馬県大会でも3回ぐらい優勝してるかな。市部大会では4年連続5回優勝もしてるし。そんなこんなで、ほとんどわたしの人生終わっちゃった。辞めてもう何年になるかな。10年ぐらい経つか。

石川 わしはもう15年かそこらになるな。協会の方を辞めて。

橋本 石川さんは、副理事長と副会長やって辞めたんですよね。自分で持ってるチームもあったし。

石川 そのチームが破綻しちゃったんだもん。役員なんて言ってもやる気が起きないんだよね。もうありとあらゆる所、群馬県中の大会に行きましたよ。
 それで一時『ソフト未亡人』っていう話が出たこともあるぐらい。要するに日曜日は旦那さんが出てるからいないでしょ。ほら、勝ち続けているともう毎週のことだから。桐生市では春夏秋と大会があってね。春に優勝すると今度は県大会へ進んで、そこでも勝ち続けていると、それが終わって帰ってくる頃には、市の夏の大会が始まっちゃう。その繰り返しをずっとやっているもんだから、奥さんは『ソフト未亡人』になる(笑)。

橋本 あの頃はまだセブンイレブンとかなかったでしょ。だから遠征の時は、うちのやつに頼んで握り飯いっぱい作ってもらって持って行ったんだよね。1日分で選手みんなの分も作るんだから、相当の量。2升炊きのあれだな。

石川 2時、3時に起きてやってたね。

橋本 で、帰ってくれば宴会だしね。勝ち続けるから辞められない、そんなこと繰り返してたんだよ。それから一山あって、ちょっと写真をやり始めたんだ。

――(壁に掛かる写真を見ながら)これって全部、橋本さんが撮られた写真ですか?

石川 それは渡良瀬の遊水地?

橋本 うん。こっちはね、氷。自分ちの庭でね。

石川 遊水地とそれ良いなぁと思った。こっちの夕日も良いよね。写真を始めたのは結構遅い?

橋本 遅いですよ。でも平成元年からやり出したから、15年になるのか。休みのたびに撮ってる。今は榛名湖行ってるんだ。

――今は日曜日毎に写真を撮りに行かれているのですか?

橋本 あぁ、もうそればっかり。

石川 良い道楽だ。

橋本 榛名湖あたりを撮るには4時に出なきゃ。もっとも1時、2時なんてちょいちょいだけどね。白根の上まで行くには2時には出ないと。日の出前がいいからね。
 これは白根でしょ。一番向こうは飛駒。あと栃木だけど梅田の近くですね。向こうは榛名湖。これが群馬町かな。埴輪の里っていうのがあるんで、そこまで行ったらコスモスを撮るね。
 普段は朝焼けを撮りたいから、早朝6時前には現地に着いてる。赤城山、いやあれは榛名山かな?それが“もや”ってるうちじゃないとね。7時ともなると全然写すものがないから、8時半には家に帰ってきてるんですよ。だから仕事に差し障りもないし、榛名なんか3日に1回は行ってるな。日が上がっちゃうと帰ってきちゃうの。で、8時半には帰宅。それから仕事だね。

石川 あそこまで行って何も撮れずに帰ってくることもある?

橋本 ある。全然シャッター押さないってことも。曇っていて日が全く出てなかったりすると、もうすぐ帰る。で、帰ってきたら仕事を始める。


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編集後記

 

趣味の話や休日の話などは学生取材陣ならでは話題。

取材をした部屋の壁に掛けられた写真。

こちらは庭に張った氷を収めた1枚。