上岡 では次に湯のしをしてるところを実際に見てもらいましょうか。そのほうがわかり易いでしょう。
(以下、湯のし実演)
上岡 布を少しずつ回転させながら蒸気を当て、水分を含んだところでギュッギュッと左右に引っ張るんですね。引っ張る時は手だけで引っ張らずに、膝を開くようにして使います。手は布を押さえているだけです。
――すごい蒸気ですよね。指は熱くないんですか?
上岡 熱いことは熱いですけど、もう長年やっていますからね。昔は指に火ぶくれができたりしましたが、それを潰さないようにしながらやるんですよ。それが固まると甲羅みたいになるんです。だから唐揚げなんか揚げるときに、手で取り上げて油切りしても平気になったりしましたよ(笑)。
――それほどまでに、指先が頑丈になっちゃうってことですね。全盛期の頃だと、他にも人を雇っていたんですか?
上岡 ええ。けど、指が慣れないうちに我慢できなくなって、辞めてしまう人がほとんどでしたね。長年やらないと、こういう指にはならないわけですから、どうしたって初めのうちは辛いですもんね。
――今実演されているのはお召しの生地ですか?
上岡 はい、そうです。この織った目を中心に3回ぐらい回して、それからひっくり返してまた回して湯のしをしていきます。織り目をまっすぐにするのには、3回ぐらいずつやる必要があるんですよ。
――反物の長さは決まっているんですか?
上岡 12メートル50センチくらいですね。13メートルくらいあるものもありました。だいたい着物1反分ぐらいの長さです。
――それを正しい幅に直してゆくわけですね。
上岡 うまく撚っていてくれないと、幅を広くするのも大変でしてね。
吉田 そうですよね。もともとお召しには縮む力が潜在してますから、ちょっと濡れるとすぐ縮んじゃうんですよ。だから先程の通り、糊を落とすとだいぶ縮むので、その後に湯のしで延ばしてゆくわけです。
上岡 季節によって、夏なら夏用に糸を撚ってもらうんです。
――それは糊を多めにするとか少なめにするとか、そういうことですか?
吉田 ええ。糊を配合する材料を換えたりするんですよ。例えば乾燥する季節だったら油を多く入れるとかね。
――なるほど、油ですか。聞いてみないと想像もつかないものですね。
吉田 こちらの仕事は最終の仕上げですから、それによって商品としての価値も違ってくるでしょう。だから身なりが良くなくちゃ困るし、任せられるほうは大変だよね(笑)。
上岡 良し悪しがみんなうちにかかってきたね。
吉田 場合によってはこれで終わりじゃなくて、湯のしをした後に、風合いを出す必要もあるんですよ。
上岡 そうなんです。台の上でこの木の槌で布を叩くんですけど、ちょっとやってみましょうか?(以下、実演しながら)
――この台の石材はなんですか?
上岡 平らなら石の種類はなんでも良いんです。
――その木槌は特別に作ってもらうんですか?
上岡 そうですね。
…こうやって叩いて、良い味を出していくんですよ。
――木槌自体にも、長年の味がこもっているっていう感じがしますね。どのくらい前から使われているものなんですか?
上岡 これは親父の代からだから、もう50年ぐらいは使ってますね。
――半世紀か。すごいですね。その道具はなんていう名前なんですか?
上岡 なんていうんでしょうねえ(笑)。
吉田 緯糸の強さによって、1反1反感触が違うんですよ。それぞれの機屋で、うちで織った絹はこういう味だよっていうのが決まっていましてね。その味をここで叩いて出すんです。
上岡 そう。最後の仕上げだからね。
吉田 この機屋はどういう風合いだったかなと、思い出し考えながら揃えてもらうわけですから、長年の経験がないとできない大変な仕事ですよ。
――今でも桐生でお召しを作ってるところはありますか?
上岡 もうないでしょう。森秀さんぐらいじゃないですかね。だからお召しでくる仕事は、みんな京都とか他の場所から受けていますよ。整理の仕事をやっていると全国から仕事が来ますね。
――いろいろな取材しているとやはり京都の話はよく出てきますね。
上岡 そうでしょう。今はお召しの撚糸も京都から来ているようですもんね。\日町も辞めちゃったみたいだし。
――着尺でなくて広幅のものを整理することってあるんですか?
上岡 そうですね。ただ広幅を湯のしする人は少ないんですよ。機械がほとんどありませんから。
――お召しじゃなくてちりめんというのはどうなんでしょう?あれも整理をしますよね。そうすると幅はどうなるんですか?
上岡 ちりめんの場合は撚りが甘いんで、そんなに縮まないですね。
吉田 以前ちりめんの産地に行ったことがあるんですが、生糸のうちに加工をしちゃうわけですよ。お召しと違って反物それぞれに、糊の違いや染色方法の違いとかがないものなんで、撚糸加工ぐらいで織れますからね。
――お召しは本来絹で織るものなんですけど、一時期、化繊糸が出回ったことがありましたよね。上岡さんのところにも、そういう反物が来ていましたか?
上岡 来ませんでしたね。化繊でお召しを作れないこともないんだろうけど、少なくとも桐生では使ったっていう話は聞いたことがないですね。
――お召しの全盛期の頃は、1日にどのくらいの量をやられていたんですか?
上岡 そうですね、森秀さんだけでも100反ぐらいありましたよ。当時は2台でやったりもしましたが、なかなか追いつきませんでしたね。それが昭和33年頃かな。
吉田 最盛期っていうと、その頃でしょうね。
上岡 それこそ、この押入れいっぱいに入っていて、さらにその手前にも山積みになっていたもんですよ(笑)。どんなにやってもやっても終わらなくてね。まあうちだけに限らず、あの頃はみんなそういう状態だったと思いますけど。
吉田 勿論良い時代だったんですが、本当にどこも大変でしたね(笑)。
――上岡さんの指を拝見しただけでも、なんだか分かるような気がします。
上岡 まあその甲斐あって、今もお召し専門にやらせてもらえてるってことですかね。 |