――当時お休みってあったんですか?
奥さん いいえ、休みなんてないんですよ。農家より酷かった。
上岡 昭和32〜3年から、森秀さんだけでも毎日100反くらいはやってましたよ。当然その他の機屋さんからも来るから、正直な話どこの絹だか分かんなくなっちゃうこともあったね。もう、この上から下まで全部反物でいっぱいだったんだから。
奥さん 夏なんか夜までずっとやってるとビッチョリでしょ。でもお風呂に浸かる時間がなくて、ぬるま湯をかぶって、とにかく少しは寝なくちゃっていう時代でしたよ。今じゃ嘘みたいな話だけどね。
上岡 米沢がね、八丁撚糸を入れたは良いけど、地元に整理屋がないから桐生でやってくれないかと、うちに持ってきたわけですよ。こっちで織って整理して、それで持って帰るって言うんだね。この辺りの反物だけでも相当なのに、その上また積まれちゃってね。
奥さん 嫌だったね、あの頃は。
上岡 太陽が昇る頃から始めて沈んでもまだやって、ほんと寝るのは2時間か3時間くらいだったな。
奥さん お得意さんが小さいんから、大きいのまでポンポン持ってきてね。それを置いておく場所がないからって奥まで仕事場にしちゃうと、今度は寝るところがなくなっちゃったりしたよね。
上岡 そうそう、シボ取りして干した絹の下に、潜って寝たりね(笑)。
――当時シボ取りは、機屋さんがやったのでは?
上岡 やらないうちもあったん。
奥さん もともとは機屋の仕事だったけど、だんだんと整理屋任せになってね。一軒でもそういうところが出ると、みんな申し合わせたように、うちもうちもってなっていったね。
上岡 それで蒸気にやられて家がガタガタ。
奥さん もうね、家中が真っ白になっちゃうの。だから作業場の天井は、蒸気が外に抜けていくように作ったんですよ。今はこういうふうに小さい窓を付けて直しちゃいましたけどね。
――流石に、お正月くらいは休めましたよね?
奥さん 正月も三が日だけでしたね。盆暮れぐらいって思うけど、機屋さんもずるいんよ(笑)。逆に休みに入る前にどこも持ってきたりしてね。すごく覚えているのは、おばあちゃんが亡くなった新盆の時。あれは嫌でしたね…。なんせお線香をあげに来てくれる人が、一日中絶えないわけでしょ。迎えるほうとしては、冷たいもんでも1杯飲んでもらってご挨拶してっていうのが礼儀なのに、そのとき丁度お盆明けに絶対届けてくれっていう仕事が来てて、結局お父さんとお姉さんは、奥で隠れて仕事するしかなかったんですよ。ちょっと顔出す間も惜しんでやらなきゃっていう具合でね。
上岡 2千坪もあろうかっていう立派な屋敷の機屋さんが、みんな手引いちゃってるような今のご時世じゃ、ほんと嘘みたいな話だけどね。そういう時代もあったんですよ。
――じゃあ昔はお休みがなくて、出掛けることもできなかったんですね。
上岡 そうだね。まあちょっと楽になってからは、子供も大きくなってきたし、どこへも連れて行かないってのもなんだから、草津に2,3日泊まりに行ったりしたよ。
――やっぱり楽しかったですか?
上岡 そりゃあ、子供が喜ぶんだから。こっちはそれで満足してね。 |