桐生お召しに関わる職人たち
桐生お召しと職人の系譜
桐生市老人クラブ連合会/NPO法人桐生地域情報ネットワーク

――お二人がご結婚されたきっかけは?

上岡 お見合いですよ。

――お幾つのときだったんですか?

上岡 ちょうど私が30か。

奥さん 29じゃないんかい?29だったよ。
(一同笑)

――その頃は忙しい時期でしたでしょう? 

奥さん そう、大変でしたよ。普通いっくらなんでも結婚式ぐらい、前の日とか2、3日はのんびりって思うだろうけど、もう式当日だって、その日働けないのがもったいないっていう勢いでね。こんな家があるんだろうかって、本当に驚いちゃいましたよ(笑)。まあ新婚旅行は熱海に行かせてもらったんですけど、それだって帰ってきたそばから、すぐに仕事なんですよ。

――あのぉ…どうしてそんな忙しいときに結婚式したんですか?(笑)

上岡 3月の初めでね。冬物が終わって夏に入る丁度入れ替えの時期でして、それでも比較的暇なほうだったんですよ。 

――隙を狙ったんだ(笑)。

奥さん そうそう、ところが大違いだったのよ。
(一同笑)

奥さん だって、来る前に周りの人からね。忙しい家に行くんだから、虫歯とかは治しておきなよって言われたんですよ。なるほど、歯が痛くなったって毎日医者通いしてる暇なんかありゃしない。正直えらいところに来ちゃったなって思いましたよ(笑)。

原澤 でも、その分収入もたくさんあったんでしょ? 

奥さん それがね、工賃が安かったんですよ。当時整理屋は4軒あったんだけど、忙しくてできないって言ってると、当然他に仕事が流れていっちゃうでしょ。だからなるべく頑張って量をこなしたんですね。 

上岡 夕方注文取って帰ってくると、お得意様が15、6軒申し合わせたように来てましてね。

奥さん 農家だってどこだってみんなよく働いたけど、振り返ってみると、自分もよくやったなって思いますよ。 

――お得意様が15、6軒もあったら、そういう忙しさになりますよね。

奥さん どんどん反物が積まれていって、もう暑くても寒くても暗いうちから起き出して始めてました。

――お客さんそれぞれで、風合いとかも違うわけですもんね。 

上岡 ええ。撚った糸も違うし、機屋さんによっての味も違いましたからね。

――当時撚りは機屋さんでやってたんですよね?

上岡 機械がある大きいところはね。長利さんとか森秀さんは自分ちの専属のものを使って、いわゆる企業秘密で、そこ独自の撚りを拵えていたわけですよ。

――結局、その撚りが決め手になるんですか?

上岡 そうです。絹、お召しっていうのは撚りが決め手です。


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はじめに
桐生お召しから龍村織物専属デザイナーへ
“柄”を生み出す演奏家
桐生で唯一の絹専門の染め屋
今もなお現役で筆を握る図案作家
2人の整経屋からみた現実と未来
高速化に対応して世界屈指の職人へ
桐生織物の職人たち
機械直しから紗織の名人へ
全盛期を支えたお召し織物の稼ぎ頭
経糸と共に繋いだ夫婦の絆
商品の価値を決める最終段階
緯糸の糊を取るシボ取り
蒸気で引き伸ばす湯のし
湯のしの実演を見ながら
手に残る勲章
全盛期の休日
冬物と夏物の違い
職人同士の繋がり
結婚生活と仕事
整理屋として残った理由
現在の絹糸
懐かしい着物姿
もう一度着物を身近に
桐生の織物産業を陰で支える
あの光景を再び。桐生で八丁撚糸機を動かした立役者
シンポジウム
職人が語る桐生お召しの系譜

ちょっと一息/コラム
お召しチャート
編集後記

 

上岡さんの奥さんにもたくさんのお話を聞かせて頂いた。

時間が経つにつれ学生達もリラックスし、お二人の馴れ初めにまで質問が及んだ。