――じゃあ、その撚りの研究に余念がないわけですね。
上岡 親父はうまくいかないぞってなると、うちまで撚り屋さんを呼んできましてね。「ここは、どうやってやってるんだ?」なんて聞いて、その説明次第で水を多く張ったりと、手法も変えてきましたよ。
――つまり整理をしてみて、この反物はこうなる、ああなってしまうという経過を、そのまま撚り屋さんに伝えるってことですよね。
上岡 そうそう。それしないと、結局うちが下手っぽだってことになっちゃうから。ここまでくるのに、どうやって作られてきたものなのか、さかのぼって知ってないと駄目なんです。
――それは信用されますね。
奥さん 整理屋っていうのは、そういう仕事なんですよ。人のところでやってる工程まで分からないと、完全な良いものはできないんですね。これはおじいちゃんから教え込まれたもんです。
――すごいな。全部の工程を把握するってことですよね?
上岡 そうだね。これがなかなか大変なんだけど。
――どうやっても、うまくいかない場合ってないんですか?
上岡 まあ極力それを避けるように、いうならばその反物のサンプルかな、そういうものができたら早くうちに回してもらって、整理して駄目だったところは、こういうふうに撚りを直してくれって先方に頼んだりね。
奥さん 仕事が専門的になれば、いろんな苦労があったよ。
上岡 経糸と緯糸の差っていうのもあって、経糸が細くて緯糸が太くなっちゃうと、経糸の上に緯糸が乗っかるから、幅がぎゅっと狭くなってざらざらな衣装になっちゃうんですよ。だからね、経験がないと解決できないようなこともたくさんあってね。
奥さん その道に入ってからの勘みたいなものだよね。
――上岡さんのところは、現在も全国からお仕事が来るんですか?
上岡 そうですね。
――それだけ技術があるってことですもんね。すごいな〜。今一番遠いところの仕事っていうと、どちらになるんでしょう?
上岡 米沢なんだけど、あっちも厳しいみたいだね。
――米沢から来るものって、桐生のものとは全然違うんですか?
上岡 それ程の違いはないですよ。どこも糸自体がおんなじだから。八丁撚糸をやってるはずの京都でも、なかなか国産の糸はないって聞きましたよ。それに機械の撚糸機でやってるから駄目なんじゃないかなって思いますけどね。
原澤 八丁撚糸を動かせる人があんまりいないんでしょうね。
――そうですね。地場産では藤井さんが八丁撚糸機を動かしてましたね。
原澤 それがお召しの糸の生命線だもんね。
――今の桐生には、森秀さんぐらいしかないんですか?
上岡 あとは新井さんが、いくらかやってっるって聞きますね。でも自分のところで八丁で撚って織ってるっていうのは、森秀くらいでしょう。 |