――今ですと、それらはどこで作っているんですか?
太縄 桐生は全部生産をやめてしまって、今は北陸、しかも1軒だけしか作ってないんです。決して良いものじゃないんですけど、そこしかないんですからねぇ。材料も本当は桜の木が一番なんですが、桜もなかなか良いものが無くて、違う材料で作っているみたいです。
ですけど、今の時代は高速化ということで、そういうもの自体があまり必要じゃなくなってきているな。樹脂製で耐久性のあるものがそれに変わって出てきていますよね。
――機械が変わってきたので、昔のものを使う場所もなくなってきているということですね。
太縄 そうですね。やっぱりスピードについていけないとか…。
ここにシャトルがありますよね。このシャトルを作っていたところも、桐生には3軒ぐらいあったんですよ。これもなかなか手が掛かっている品物なんですけど、そうですねぇ、石尾さんとかいましたね。桐生の織物を作るのに一番適した機械を、桐生で作るという時代もあったんですが、だんだんと北陸の製品の方が良くなってきたんでしょうかね。ほとんどこの辺で作っているところはなくなってしまいました。
そうは言っても、かつては何十社とあった北陸のシャトルメーカーでさえ、今では二社ぐらいしか残っていないんですよ。シャトルだけでは商売にならないっていうんで、ボーリングが流行っていた頃にはピンを、それからゲートボールのハンマーみたいなもの、あるいは小学校の教材とかを作っているようです。どこもなかなか大変なんですよね。
まあ、話を桐生に戻しますと、当時はジャカードにしても織機にしても、色々な機械メーカーがあったわけですが、うちでは金沢の北陸機械というメーカーの製品を扱っていました。しばらくは、そこの織機や自動管巻きを売っていた時代が続きましたね。
どの世界でも、画期的な発明というのは人やものを大きく動かしますけど、私が高校を出て親父の仕事を手伝うようになった頃に、名古屋の人がフィーラーモーションというものを考え出しましてね。ちょっと説明しますと、当時はシャトルを使っていたわけですが、織り続けるうちに当然、管に巻かれていた糸がなくなってきて、いずれ緯糸がなくなったシャトルが、織物の中を通る時がきちゃうわけですよ。腕の良い機織りさんがいくら上手に合わせても、どうしても一回止まってしまうと段ができたりと、そこが傷のようになってしまう。それをなくす機械がフィーラーモーションだったんです。以来これがなければ機屋じゃないというぐらいに、あって当たり前のものになっていきましたね。
その頃桐生には、まだ9000台ほど機械がありましたから、私のような商売をしているお店が5、6社あったんですけど、もう競争で売りまわりましたよ。テレビが出始めた頃みたいなもんですかね。とにかく取り付けに追われて追われてどうしようもない時代が5、6年続きました。それを取り付けるってことは、ボビンやシャトルも新しくする必要があったんですから、相当色んな面で品物が動いたってことですよ。
同時に経糸が切れた時に止まる装置も売れ出しましてね。実はこちらは、その昔からあったものなんですが、経糸に1本1本重りを下げる作業が大変で面倒だったというんで、あまり広くは使われていなかったんですよ。でも今では、それがないと傷だらけになってしまうというので、不可欠な機械になりましたね。
――太縄さんのところは機械ですから、和装とか洋装に関係なく、機屋さん全部に仕事があったわけですよね。
太縄 そうですね。帯屋さんでもお召し屋さんでも織物でしたら何でもありましたね。
そのうち今度は、シャトルを使わないで棒のようなもので糸を運ぶという機械ができたんですよ。当時は普通織機で120回ぐらいの回転だったんですが、それが160回も出るもので、しかも管巻きもいらないというものだったんですね。ただ欠点があって帯は作れなかったんです。耳が出来ないんですね。でも、だいたいの織物はそれで間に合うというんで、かなり売れました。
そうなると、次の機械はもっとスピードを速くということになってきます。最近桐生で使われているものは、300回〜400回も回転が出ちゃうんですよ。今まではせいぜい20回〜30回のアップでも、すごいなと言われてきたのに、その2倍以上ものスピードが出るんですからね。だから現在機械の台数が9000台から2600台ぐらいにと減ってしまっていても、生産量としては昔より増えているんじゃないでしょうか。
お召しが盛んだった時代とは違って、今は例えば垢すりなんていうものまで、なんでもやりますからね。最近足利の三洋電気が中国へ行ってしまったんですが、そのせいで40台ほどの織機が止まったんですよ。一体何を織っていたかと言うと、エアコンのフィルターなんです。そんなモうに仕事自体が随分と変わってきています。いわゆる昔のお召し屋さんは、もう全滅ですよね。桐生市とかが公務員扱いにでもして、機織に興味がある人に覚えてもらわないと、いつか誰もその技術を継承できなくなる日が来てしまうんじゃないでしょうか。
その点私のところは、とにかく色んな話を聞いて、製品そのものを桐生の機屋さんに提供するのが仕事ですから、これと言って織物の技術を要するということはないですね。ただ機械を売っていますのでメンテナンスの仕事がありますから、機械を直す技術は必要です。 |