桐生お召しに関わる職人たち
桐生お召しと職人の系譜
桐生市老人クラブ連合会/NPO法人桐生地域情報ネットワーク

太縄 この前も外国から紋紙を切る機械と紋紙を編む機械を欲しいって言われてね。だけど、探しても無いよね。あっても使ってるから、そこが辞めれば出せるってことにとかなんだよね。なかなか欲しいと言われても無いよね。

――まだ、古い機械を欲しいって言われるんですか?

太縄 そうだね。高速ジャカードとか高度なものを入れても周りが付いてこれないんじゃないかな。初歩的なものから回転もそこまで速くないものでっていう要望があるんだよね。

――じゃあ、古い織機自体はまだ外国にはあるんですか?

太縄 だから、こっちから持っていきましたよ。綿織機なんかは何万台って行ってるよ。20年位前から何万台ってね。特に簡単なジャカードの付いていないものなんかこの辺のも佐野にあったものもね。もっと柄のあるものだとか。作るようになると、ジャカードだとかドビーだとか送ることになるんだろうね。

――じゃあ、まだまだ世界で見ればそういう機械は動いているところはあるんですね。

太縄 まだまだありますよね。例えば、タイとかインドネシアとかはそういう古い機械でやっているんですけど、やっぱり高度な良い機械の要求も最近では増えてきていますよね。性能の良いものをね。
(倉庫を出る)

太縄 で、最初に話したムエンタンなんかムホンタンなのかわかんないけど、私が聞いたのが朝鮮人のおじさんでね、何かだいぶ闇で儲けたらしいんだよね。藤井さんならわかるかな。だから、輸出目的の織物なのかなっていうイメージがあったんだよね。

――戦後すぐくらいのものですよね?

太縄 そうですよ。私も年輩の人に聞いておくよ。字も分からないんだよね。分かったら電話いれるよ。

――お願いします。

太縄 じゃあ、なにか分かったら教えてね。

御子柴孝晃(群馬大学工学部4年)
 倉庫に入るとそこにはたくさんの機械が置いてあり、急な階段を上った先には、小さな手作りのジャカードが2つ寝転んでいました。それには手の平に乗るほどの紋紙が未だに付いていて、修理されるのを待っているかのようでした。
 「こんなのすぐに修理できるよ」という太縄さんの声は実に頼もしく聞こえます。昔を再現できたらと考えながら、将来、桐生の子供たちが長期休暇などを利用して桐生織を職人の方々と、実際に織物を織っている姿を想像すると、楽しみで仕方がありません。また、昔は桐生で活躍していた織機たちも今は場所を海外へと移し、相変わらず働いているようで、取材の帰路の途中、海外へ織機を尋ねに行ったらどうかという話しに夢中になっていました。
 体験学習などで桐生織を体験できる時代がきた時、この取材記録がその子達にお金で買えない何かを少しでも与えられるかもしれないと信じていたいです。このプロジェクトが更なる「文化の継承」の役目を果たすものとして、プロジェクト自体が継承されることを望まずにはいられません。
◆第3回インタビュー取材データ◆
【日時】2003年11月26日(水曜日)12:00〜13:00
【場所】太縄機料倉庫
【インタビュアー】御子柴孝晃、小保方貴之
【撮影等】小保方貴之

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はじめに
桐生お召しから龍村織物専属デザイナーへ
“柄”を生み出す演奏家
桐生で唯一の絹専門の染め屋
今もなお現役で筆を握る図案作家
2人の整経屋からみた現実と未来
高速化に対応して世界屈指の職人へ
桐生織物の職人たち
機械直しから紗織の名人へ
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経糸と共に繋いだ夫婦の絆
商品の価値を決める最終段階
桐生の織物産業を陰で支える
桐生の織物産業を陰で支える
機料屋の仕事
桐生から無くなる機料工場
客観的に見た桐生織物業界
織物の道具
意外な接点を作った機械
藤井さん家の機械の行方
錘・垂ず輪・スピンドル
お召しが衰退したもう一つの原因
八丁撚糸の復活
猫の毛皮
桐生の織物機械
大縄機料に残る様々な道具と機械
海外に残る桐生の織機
シンポジウム
職人が語る桐生お召しの系譜

ちょっと一息/コラム
お召しチャート
編集後記

 

これは箔に撚りを掛けながら巻取る機械。