藤井 これは私の見解だけれど、桐生の八丁は昔からやってた人が、いろいろ研究しながら桐生お召しに適した八丁に改良したわけ。前回のシンポジウムでも出たんだけど、桐生の八丁と足利市の葉鹿町の八丁は違うんだけど、それは葉鹿でも同じようにその土地の織物に適した八丁に段々作り変え、進歩していったんだから違うんさ。
太縄 そういう話は私も初めて聞きました。
藤井 だからこれあくまで私の見解だけど、境野の帯屋さんに縫い取りお召しのブームがきたでしょ?帯を辞めてみんな縫い取りお召しに切り替えた時期があって、急に桐生の撚り屋が忙しくなっちゃったわけ。そうなると、すぐ川の向こうの葉鹿に行けば八丁撚糸があるんだからって、そこ行って緯糸を撚らしたり、あるいは撚り屋の方も、全部一括して糸を出して、機屋は小売りされた糸でお召しを作ったわけ。
おまけに機屋さんもブームだから忙しくシボ取りしたのを干すがね、それがちゃんと乾かないうちに整理に出したり、早く商品をまわしてくれってなったんだよね。だからもう良いも悪いも何もないんだよ。
太縄 どうゆうわけかほんとに全部消えましたもんね。
藤井 一番の理由は流行もあるんだけども、お召しが粗製濫造されたんで、「雨に濡れれば縮んじまう」っていう話だけが行き渡っちゃった。悪いのがそうだったんだよ。だって戦前はそんな話は無かったんですよ。桐生のお召しは雨にかかると縮んじまうという話はなかった。
――うちの叔母も桐生お召しのことを「水に強い高級な普段着」って言ってました。 |