太縄 この間、桐生の織機メーカーをちょっと書き出してみたんです(右欄外参照)。結構あったんですよ、こちらは管巻きのメーカーですね。さっきの八丁のメーカー山添さんも書いておいた方がいいですよ。
藤井 今はもうやってないんだけどね。
太縄 もちろんこれだってやってるところは一つもありませんよ。息子さんたちが何か知ってるかもしれないし。
――リストで出てくる何々式って?メーカー名みたいなもんですか?
太縄 そうですね、それでこれを作っていて分かったんですけど、先日お亡くなりになった小山元市長の生まれたところは織機作ってたんですよ。タイムスのほうなんですけどね、コヤマ式って織機を作ってたんです。
それからシオカメってのは大きかったんです。今の桐生タイムスのところ全部、すごい工場でしたよ。終戦当時は子供だったんだけど、あそこに溶鉱炉があったからトラックで鉄材が運ばれて来てね。その中に鉄砲の使えなくなったようなのがあって、おもちゃ代わりにちょうど良いから取りに行ってましたよ(笑)。
――それぞれ機械に特徴があったんですか?
太縄 そうですね。例えば塩谷式ってのは、そんなに大きい織機じゃなくて、だいたい1メートル10センチ くらいの機械だから中幅くらいですね。桐生ではないんですけど、今でも塩谷式は動いてますよ。葉鹿の奥の松田ってとこね。だからうちに塩谷式のシャトルもありますよ。
――シャトル自体も違うんですね。この間見せて頂いた時にも、右左両方に糸を入れるシャトルなんてのもありましたよね。
太縄 あれは合理化が目的で改良されたもので、お召し屋さんで使われていたんですよ。だからお召し以外にはもう使い道がないんだよね。
――今でも残っている織機は、やはり性能も良かったんですかね?
太縄 未だに使ってるんだからそうなんでしょうね。
藤井 能率が良いんだよ。
太縄 織機が壊れて部品がないとうちで似たようなも作ってやったりして使ってますよ。
――部品を作ったりもするんですね。
藤井 地場産で回した八丁撚糸機は、森秀ではモーターで動いてたんですよ。だから八丁の手回しのハンドルは、前原さんに言って転がってる部品を探してもらって、それを取り付けたんですよ。そしたら絹の里の人が後から電話かけてきてその手回しの図面ないかってね、こっちは廃材を見つけて取り付けてやってるのに(笑)寄せ集めだったよね。
――でも、ああいう機会に実物が見れるのは良いですよね。
藤井 だいたい今の七十代以下の人はあんまり知らないだろうね。
太縄 お召しがもうなくなっちゃってからの生まれだもの。
――実際に回るのを見ていると、スピンドルの先端に糸が絡んでゆくのが見えました。
太縄 スピンドルはスーって細くなってからグッと膨らんでるんですけど、あの調整が難しいんですよ。
――今残ってる商品で昔は何に使っていたか分からないものはありますか?
太縄 ありますね、復元してみたいなって物もあります。木製のジャカートやドビーを新井さんから預かってるのがあるんですけど、使い方がわかんないんですよ。
珍しいけどこれ動くんかな?ってのが倉庫にありますから、昼間来て頂ければお見せしますよ。私も子供心に動いてるを覚えていて復元できる人もいないだろうなってのがあってね。おそらく、それでもって柄を作るわけですよ。縦糸を上げたり下げたりできるんだけど、戦後すぐの手作りの機械があるんですよ。
――改めてまた伺いますので、宜しくお願いします。 |