(太縄機料倉庫に到着)
太縄 このシートの中に、新井さんから預かったものがいっぱい入ってます。これなんかも高機の台なんです。組み立てられるとは思うんだけど、持って来て何年か経つからね。
――組み立てるにしても、新井さん本人じゃないと難しいですよね。
太縄 新井さんの所にいた人たちもみんな辞めちゃったからね。これを持って行きたいって言ってた人も居たんだけど亡くなっちゃったからね。材木がほとんどだから片付けるって言ったら燃やしちゃうもんね。こんなの置いておけないもんね。
――もったいないですけど、ずっとこのままって訳にはいきませんからね。
(倉庫2階に上がる)
太縄 これがね、この前言ってた、ドビーというやつなんですよ。
――これ、紋紙?紋紙なんですかねこれ?随分小さいですね。
太縄 小さいでしょ?で、これが上下に動くんですよ。ガチャコンガチャコンって感じでね。で、これが一回ずつ動くたびに紋紙1枚ずつ回るんですよ。
子供の頃だけどこれを作った人を知ってていじって遊んだものですよ。それと、こっちにも同じようなものがあるんだけど壊れちゃっているからさ。でもこれ戦後ですよ。これ知っているんだもん。
――戦前から使ったものなんですか?
太縄 ん〜だからね。もっと戦後でも、ものの無い時分にさ、手機でちょっとは変わったものをやろうって言うんでこういうものを作ったんでしょうね。相当これも古いからさ。動かそうといっても部品なんかも作らないといけないからさ。復元しないとね。
見てみて。こっちのはジャカードと同じ仕組みでしょ?だから、穴の開いているところは針が抜けて、穴の開いていないところは押されてボッチが来ると、ナイフに引っ掛からない。凄く簡単な構造だよね。これちゃんと面倒見て直すと面白いんだよね。
――そうですよね。面白い。
太縄 これを作った人のとこに若い時にいたって人知ってるよ。今その人が76,77歳なんだけど。この間話したらこういうの作っていたよって言ってたから。
――そうなんですかぁ、この二つは同じものなんですか?
太縄 同じなんだけど、後のは部品が壊れてて足りないんかな。今は壊れちゃってるけどさ、これぐらいだったら何とかできるよね。
――これだと織れるものも幅が細くなっちゃうんですかね?
太縄 そんなことは無いよ。この一つの針に10本ぐらい付いていれば問題ないでしょ?
――そうかそうかそうか。柄を操作するのか。
太縄 だから、いくらでも広くなるんだよ。普通のジャカードでも200口、京都はだいたい400口、600口とかね。大きい柄ができないけどね。手機だからあんまり広いものではないだろうけど、手機だと私が知ってるので2尺5寸くらいかな。手機の織機が新井さんの預かりものに入ってるよ。
――あの中に(笑)。中、見たいな。
太縄 前にいろいろ置いてあるから、時間がかかるけど本当は片付けたいんだよね。駐車場にでもしといた方がよっぽど良いんだけどさ。
こういう小さいジャカードって見たことなかった?
――見たことありませんね。
太縄 無いですか。これなんかは単純だからちょっと見てやれば動くようになると思うんだよね。針も作ってやればさ。
――構造はできているんだから、後は、修理してやるだけですよね。
太縄 そうだよね。みんな歪んじゃって変な風になっているから、
――できそうですよね。この大きさの紋紙がいつ使われてたのかは小堀さんの所に行けば分かりそうですよね。でも、このぐらいだったら、柄に合わせて作くれそうだよね。口数も16の4倍、わずか64。
太縄 そんなもんだね。でも、基本的にはジャカードだからね。耳ジャカードというのがあるんですよ。
――耳ジャカード!?
太縄 要するに、背広の地なんかの端に名前が入っていることがあるでしょ?あの部分専用に200口ぐらいのジャカードを使うんですよ。それだと、紋紙はこれぐらいだよ。精度が良いからもう少し密度が高いけどね。この辺には無いけど今でも動いていますよ。
でもこの装置は、桐生の人なら知っている人いるんじゃないかな。見たことあるとか、使ったことがあるという人とかね。
――戦後なら知っている人がいそうですよね。
太縄 作った人がいるんだから。
――だいぶ魅力的ですね。どういう状況でこれを作るにいたったのかを知りたいです。
太縄 頼まれて作ったらしいけど、誰が考案したのかは分からないよ。
昔のことだから良くわからないけど、ムホンタンとかいうものがあったんだよ。おそらくシルクの織物だと思うんだけど、昔の織物に携わった人なら知っていると思うんだ。うんと流行ったらしいですよ。それをどうやって織ったのか、それはもしかするとこれと同じくらいの時代かもしれない。
――ムホンタンってどういう字を書くんですか?
太縄 言葉では聞いたことがあるんだけど、実物のムホンタンだってのは見たことが無いんだよ。多分、まぁ正しいかどうかはわからないんだけど、イメージ的には何かそのシルクで韓国とかあっち方面に関係があるような。今度調べてみて分かったら教えてよ。
――じゃあ、調べてみます。藤井さんなら年代的にもわかりますかね?
太縄 わかるかもしれないね。
当時はそれでみんなかなり儲けたらしいから。私がその話を聞いたのも朝鮮人のおじさんだったんで、イメージ的にそういうように偏っているかもしれないですけどね。今までに聞いたことはあった?
――ありませんね。藤井さんにも取材するんで聞いてみます。(別の機械を指して)これは糸繰りの機械ですか?
太縄 これはね、箔って平べったいテープみたいなものに撚りを掛けて巻く機械。1ミリとかそんな幅で表が金、裏が銀なんてのがあってね。織物に入れてゆく時に、普通に管に巻いてたんじゃねじれちゃうんだよね。だから、織った時によじれが入れないよう、この機械であらかじめ逆に撚りを入れて管に巻くんですよ。シャトルから出る時に±0になるわけですよ。京都の大光金属が考えたんですよ。
もう一つ進歩したのは、小さく巻いて真ん中から引き出す方法です。そうすると、テープが交互にひっくり返りながら出てゆくからよじれが消えるってんでその2つが出ていた。「桐生さんには売りませんよ」なんて言われてね(笑)。こんなおもちゃみたいだけど当時1鐘で13万円、2鐘で20万円もしたんだよ。
――当時で20万円っていったら相当ですよね。
太縄 で、そういうのを織れる織機は、北陸の機械メーカーで引箔織機っといってね、京都の人と共同研究して作ったのかな。うちでも売っていたんだよね。
――北陸ってそういう機械とか多かったんですか?
太縄 ツダコマをはじめ、繊維機械メーカーは多かったね。昔は桐生にも織機メーカーがたくさんあったね。で、当初はツダコマの織機は桐生に入って来なかったんだけど、桐生より良いものを作るようになって、そのうち桐生の機械はほとんど北陸の機械メーカーの織機に変わっちゃったね。 |