太縄 うちは物持ちがいいほうなんですよ、30年も40年も前は、まだ戦前の機械がしばらく動いてましたから、部品なんかも捨てられないでいるんですけど、傷んだかどうかもわかんないから、今でも持ってますね。もしかすると八丁のスピンドルや錘だとかもあるかもしれません。
藤井 うちでもね、1カケ分か30本分は修理したわけ。垂ず輪からなにからね。あと残ってるのが5カケ分、1台で30本として5倍残ってるかな。
太縄 それはもう大事にしてていただきたいですね。
藤井 垂ず輪はなんかありますか?使えるんだけ揃えたりしてね。それも全部ね繊維工業試験場に納めてある。それで今言った八丁もね昭和の一桁の頃の八丁、輪っかが大きいんだけどそれも行ってる。なんかあそこにね、職業訓練所みたいのがあったよね?
太縄 ありました、ありました。
藤井 それが太田へ越したんで、部屋が空いたんだ。そこを織物組合で借りて織物の資料を入れてあるらしいんだよね。
太縄 よく訓練校を借りて展示会をやりましたよ。あの頃は景気の良いときでしたから、設備の更新も多かったしね。 |