藤井 太縄さんにみてもらいたいカタログがあるんだよね。
太縄 あー当時の撚糸機ですね。これはあの長利さんとかね、森秀さん、それから泉織物さんだったかで使ってもらったような……。
藤井 今泉亀太郎ってもう死んじゃったんだけどさ。俺の義理の兄貴なんだよ。
太縄 あ!そうでしたか。私が学校を出てすぐの頃でしたね。この機械はなんとなく覚えています、森秀さんとか長利さんが盛大な頃でした。ただこの機械は八丁撚糸機に比べるとやっぱり撚りが甘いとかなんかの問題があったみたいですよね?
――そういう接点がありましたか。
藤井 兄貴に聞いた話だと、これは十日町の方の機械で、太縄さんから持っていって使ってみてくれって言われたって。
太縄 そうだ!そうですね。もう一台それがうちにあるんですよ。その時ね、どうしても2台取ってくれってんでね、仕方なくてね。丹後から持ってきた機械です。
森秀さんと長利さんには新台の十日町機械の撚糸機を買って貰いましたが、やっぱりどうしても肝心な撚りがイマイチだったみたいでね。本当だったら合理化できてそれまでの八丁撚糸機に比べて生産性も向上するはずだったんですけど、昔ながらのあのやり方を超えることはできないんですね。
藤井 私もあの品物はだいたい見せてもらったんだよ。それで聞いたのは「電気代ばっかり食っちゃってイイ撚りができない」ってんだよね。
(一同笑)
太縄 そうかもしれませんねぇ。
藤井 それで私なりなりにね考えてみたんだよ。錘がちょっと手前から上がって、ボビンかなんかに巻き取ってるんかな、現在あるの見るとね……。
――まだ残ってるんですか?
藤井 あるんですよ。商売辞めちゃってるからね。なんかの台になちゃってるわけだよ。
太縄 そうですか(笑)
藤井 当時のまんま残っちゃってるんだよ。
太縄 よくそのままになってましたね、普通だったら片付けちゃうとこですけどね。どっちかって言ったら長谷式みたいな感じでしょ?
藤井 そうですね。この回る部分とかね。
太縄 つい最近まで、長谷式の撚り機が梅田で動いていましたよ。けど、やはりあの仕事が無くなってきたんでしょうかね、今はもう解体してしまってようですけどね。
こういう機械を使ったり、八丁を復元して糸を撚ってるところはあるんですかね?
藤井 森秀なんかで八丁撚糸機がちょっとは動いているんですけど、商品までにはね。
太縄 品物つくるって段階までは無理ですか。けど、釣瓶糸がもうないでしょうね。
藤井 昔、太縄さんとこに頼みましたよ。一番始めに注文する時に見本を持って来たの。最初に届いたのが使い物にならなくって、もう一度注文し直してもらってね。そしたら、5把からじゃないと駄目ってんで1把、2把じゃなくて全部引き取るって条件で買ったんだけど、今でも全然手つけないのが大事にとってあるん。
――藤井さんのとこにも取材にゆくので見せて下さいね。
太縄 そうですか。以前、絹の里で機械回すから欲しいって言われてうち残ってたの全部お持ちになったんですよ。もしかしたら、今後森秀さんでも使うんじゃないですか?
藤井 うーん、でもなるべくなら出したくないね(笑)。記念に取っておきたい。よじれちゃってるしね。
太縄 そうですね。あのよじれを戻すのは大変でしたね。後から仕入れた釣瓶糸はもうグズグズでしたよ、ねじれたってすぐ元に戻っちゃうような、ろくに撚りが入ってない。
絹の里で回したいっていうのも、あすへの遺産のシンポジウムで藤井さんが回されたことがきっかけみたいですね。
藤井 うちへも電話がかかってきてね。あそこは八丁に掛ける管用の管巻き機もあるんだよね。けど、「どうやって使うんですか?」って言うんだよ。あそこに勤めている職員さんは全然知らないってわけ。それでやっぱり群馬町から地場産に見に来たようなんだよね。
――そうだったんですか。
藤井 あそこで使った絹糸は、新規にするのも大変だがね、えらいお金かかちゃって。だから残糸を管に掛けて八丁を回したんだよね。そんなんで、管巻きは持ち込まなかったわけ。
藤井 前にも相生にある県の繊維工業試験場の八丁撚糸機を動くようにしたり、管巻きも糸をかけて糸繰りができるように全部整理したわッ。だからその時に担当した人が試験場内にいるからその人に聞けば分かるし、もし分かんなけりゃ「連絡もらえれば試験場に行きますから」って言っておいたの。その後連絡がないから間にあったんかな。
傷んじゃっているだろうけど、相生の試験場にも八丁撚糸機とかあるんだよね。だけど桐生お召しが伝統工芸品になっている有名な産地にある繊維工業試験場でその八丁撚糸を回せる職員がいないんで、是非回せるようにして教えてくれないかって。そんなんで、私が行って全部整備したの、それは前回の本に載ってますよね。 |